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[イベントレポート]生きるリノベーション | 記念トークイベント#5

「未来の花見:台湾ハウス」記念トークイベントの5回目は「生きるリノベーション」がテーマ。ファシリテーターに公共施設のリノベーションとその活用を企業や自治体と進める公共R不動産コーディネーターの飯石藍さん、スピーカーに、日本からは京都で町家や長屋を後世に残す活動をする魚谷繁礼建築研究所代表の魚谷繁礼さん、台湾からは旅行業に携わりながら台湾各地の古民家やビルの再生に取り組む風尚旅行社総経理の游智維(ユウ・チイ)さんを迎えて行われました。

生きるリノベーションとはなんだろう? 「建物が建つ場所での役割を終えたところから新しい価値を生み出し、建物の息を吹き返して元気になること」と飯石さんは答え、「リノベーションの本質を今日は掘り下げていきたい」と2人にバトンを渡しました。

台湾では古民家を民宿などに活用する動きが活発です。そのムーブメントをつくった張本人がユウさんです。発端は台南の古いマーケットにある古民家。ここはユウさんの同級生の家だったそうですが、地元の工芸職人と改修し、1泊200USドルの高額な民宿に生まれ変わらせました。「実はそのとき参考にしたのが京都で町家をリノベーションする事例」だったとのこと。この民宿の大成功が台湾全土に拡散していったわけです。

台北で違法建築が密集するエリアでは「建築自体は美的な建築価値はあまりないが、人々が暮らした記憶が残っている」。そこで、ユウさんはアーティストやデザイナーとともにシロアリの巣のようなアート空間をつくりました。その中に人が入ると、まるで巣の中で暮らしているよう。「自然界を侵食してきた人間が、未来は逆に自然界に飲み込まれる」。建物からはそんなメッセージが聞こえてきそうです。

台北の旧市街地、大稲埕(だいとうてい)で築60年の4階建てビルを再生したプロジェクトも紹介してくれました。ここでは防空壕として使われていた地下室をレコード店に改修し、建物の古さと合わせるようにカセットテープなどを扱うヴィンテージの店にしたり、建物中央にある吹き抜け部分は注ぐ自然光を活用してギャラリースペースに利用したり。カフェの隣につくったレコーディングスタジオでは建物の内部や周辺の街で聞こえる様々な音を録音。音を通して建物や街の歴史、それに文化に触れる試みを行っています。「わざわざこの建物に訪れなくても、自分のPCやスマホでその音のストーリーを聞くことができる」。

もうひとつ、おもしろい事例として挙げたのが台湾の最南端にある南廻公路(なんかいこうろ)地域の町起こし。都市部から離れた地域で医療施設がないなど様々な暮らしの資源が足りていません。「通常、こうした寂れたところの地域開発となると、大きなリゾートホテルを建設して人を呼ぼうとしがち」。ただ、ユウさんたちはそうした大規模開発をあえて選択せずに、あるものを有効活用する道を選びました。

空家や民宿施設は客室、目の前に広がる海はプール、背景の山は庭、そして街の飲食店はレストランといった具合に、街全体をひとつのホテルと見立てて再生を進めたのです。「建築は文化の中のひとつの要素に過ぎない。その建物の周辺の街、関わった人たちの記憶や暮らしを文化として残していきたい」と話します。

一方、京都で設計事務所を運営する魚谷さんは京都という土地に根を張って、街に残る町家や長屋を壊すことなくいかに後世につなげられるか、そのときどきの社会情勢や問題に応えながら、実験的な建築モデルを次々に発表しています。

京都市東山区で「SOWAKA」という旅館・ホテルを手掛けたケースでは、当初100年前に建てられた料亭を取り壊してマンションを建てる計画でした。京都市がストップを掛け、その建物を残すこととなりました。「ただ、宿泊施設に変える場合、日本の建築基準法では内装制限や準耐火構造という規制で、料亭で使っている木材が残せなくなってしまう」。

そこで魚谷さんは行政と協力して建築基準法を外して、法律と同等以上の安全性を確保する計画を練りました。結果的には改修した料亭、改修した町家、そして更地に新築した新館という3つからなる施設を誕生させました。新館では料亭の空間に残る建築的な特質を参考にするなど、3つの連なりも意識しました。「今は旅館・ホテルとして活用しているが、20年後はその用途も変わってくるだろう。時代に応じて変わることを前提に設計した」。

「コンテナ町家」というプロジェクトでは、壁面で整った表と雑然とした裏といった対比的な空間で構成される京都の旧市街地が街の開発とともにカタチを変えようとしている都市問題に踏み込みました。対象になった建築は駐車場の只中に残された3軒の長屋。地面がうねって長屋自体は斜めになり、周囲には路地の痕跡や祠(ほこら)が残っていました。

「京都では年々、旧市街から路地がなくなろうとしている。路地自体は文化的な価値はさほどないものの、単調になりがちな街並みを路地があることで豊かにしてくれる。長屋と路地が生きた都市遺構として残せないかと思った」。そんな魚谷さんが考えたアイデアは実に奇想天外。長屋の上に鉄骨のフレームを掛け、そこに中古のコンテナを載せることで全体をオフィスビルにしたのです。

長屋の中を貫通した路地が裏に回る。コンテナの隙間にも路地が貫通し、魚谷さんは「路地が空に伸びていく。そんな風景を考えた」と言います。コンテナと長屋のスケールを調整することで、周辺の雑多な世界は景色というより、コンテナと一体となって広がっていくように見えること意図したそうです。コンテナにはカフェバーや不動産店、建築デザイン事務所、写真スタジオ、それに寺が入居し、長屋はシェアオフィスや職人の工房として使われています。

魚谷さんがこれまで手掛けた町家・長屋は100軒を越します。「ただ、そうした再生した町家や長屋を一方的に使うと消費してしまうので、新たに積み重なるように次の世代に残せるリノベーションを心掛けている」。

2人のスピーチを聞いた飯石さんは、自身の例を出しながら、2人に問いかけました。飯石さんが廃校になった学校を活用するプロジェクトでは、「まずどんな人たちが通っていたのか、そしてそこでどんな営みがあったのかをリサーチすることにしている」。単に民間企業が入って事業をするということではなく、この地域そして建物が受け継いできた記憶や価値をどう残しながら、新しい価値を生み出していくのかという観点で考えるそうです。そうした地域の課題解決に当たって大切にしていることを尋ねました。

 すると、魚谷さんは「京都では歴史がつきまとい、その歴史がデザインの足かせになりがちだが、そうした歴史をいつも空間や場所が豊かになることに利用しようと思っている。やっぱり歴史は楽しいから」と答えました。ユウさんはその土地の人とのコミュニケーションが大切と言います。「手法はまず聞くことから。いろいろ質問することで、自分は気づいていない発見がある」。そして建築の場合は、一歩引いて、周りを見て視野を広げる。それが問題解決を導くとします。

「2人ともアプローチが違えども、文化と物語を残しながら歴史をつなぐところは共通していた」と飯石さん。古いモノを古いまま残すのは正解ではなく、今の使い方にどうアップデートし、その上で元々あった文化を残していけるか。「もしかしたら次の世代は別の使い方になるかもしれないが、私たちはまずはバトンを渡さなければならない」とまとめました。