見出し画像

問う=問われる(雑記)

リビングのテーブルの上にPEANUTSのマグカップが3つある
妻はウッドストック、娘はスヌーピー、僕はチャーリー・ブラウン

僕はチャーリー・ブラウンが好きだ
何をやってもうまくいかないけど、とても心のきれいな人だと思ってる
誰かに傷つけられたとしても、誰かを傷つけることはないと信じている
上手ではないけれど野球が大好きで、大雨が降っても試合をしようと言う
赤毛の女の子が大好きで、アクションすると結果が怖いからいつも待っている
凧はいっこうに揚がらないし、アメフトボールを蹴られた試しもない

これまで何度か、僕はチャーリー・ブラウンに似ていると言われたことがある
好意を含めてと思いたいけど、実際はどうかわからない
お前は何をしてもダメなやつだなと遠回しに表現されているだけかもしれない
似ていると言われて嬉しい人はいるのだろうか
僕は嬉しい

画像1

そんなチャーリー・ブラウンに眠れない夜シリーズがある
彼は時々なぜ生きているのかわからなくなるのだ
そこで夜1人だけになった時、彼は人生の意味を問う
すると、闇が彼を問う

まるでビクトール・フランクル(Viktol E Frankl)のロゴ・セラピーのよう
あなたが人生を問うのではなく、人生があなたを問うのです、みたいな

僕は最近、社会や教育に問うてばかりいる
しかし同時に、社会や教育も僕を問うているはずだ

僕はなぜ社会を問うのだろう
僕はなぜ教育を問うのだろう
向こう側から考える必要がある

君は誰だ?
なぜそれを問う?
文にまとめてどうする?
それはつまり、何のためだい?
それは実際、君にできることなのかい?

問いと答えが深まらない限り
いくら本を読んでいくら文章にまとめても、僕は文字上を上滑りするだろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?