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普遍的価値へのコミットメント

□景色
内村門下である南原の戦中・戦後を丸山が語る。

すでに高等学校一年の時から満州事変でしょ。風向き、世の中はどんどん、どんどん右の方に行くわけですね。高等学校三年の時に、佐野[学]、鍋山[貞親]の「転向」と言うのがあります。当時の共産党の首脳が転向する。「民族精神に目覚めた」と言う転向声明を発した。それから雪崩を打った転向の時代が始まった。
いわゆる自由主義と言われていた人々も、初めのうちは軍部や右翼の勃興に対して苦々しく思っていましたけれど、そういうふうに世の中全体の風潮が変わってきますと、元来自由主義の基礎になっている個人の自由とか人権とか、そういう考え方が日本では根づいておりませんものですから、自由主義者もまた当時の国策に協力するようになりました。自由主義者も左翼もマルクス主義者も含めて「転向の季節」と言っていいわけです。
その時に、私たちの先輩の日本の知識人を見ておりまして、私は青年ながらも、日本の知識人は非常に弱いところがある。自分の周囲の動向、風潮、風向きというものに対して非常に弱い。ルッテルじゃないけれども「自分はここに立っている。これより他に仕様がない」という、本当の自分の立脚点というものを持たない。周りの動向というものに流される。そういう弱さがあるということを非常に感じた。
その中にあって南原先生とか矢内原先生という人々は——必ずしもキリスト者だけではありませんけれども——少しも揺るがなかった。それをこの目で見ていた。世の中がどんどん、どんどん右に行っちゃうということで、それにくっついて行く、あるいは世界の大勢は今や全体主義に向かっているんだから、ということで自分も「バスに乗り遅れるな」とくっついて行く、ということが少しもない。正しいか正しくないか、何が真理であるか、何が正義であるか、ということをまず第一に自分の態度決定として決めるという、当時の日本人の中の非常に少数の——私の見ていた範囲では——方々であったわけです。
その時に私は人間というものを根底的に支えるものは狭い意味での学問の勉強ではないということを本当に教えられました。・・・留置場で情けなくなって涙が出た。その時に私が考えたことは、涙を流した自分というのは実にだらしがない。自分はいっぱしの秀才のつもりで一生懸命いろんな哲学の勉強をしたり、生意気にもいろんな勉強をして来た。こういう時に自分のそういう勉強が支えにならないということを、・・・イザという時に自分を支えてくれるものは、単に本を読んだというようなことだけではない「何ものか」じゃないか、ということを思っていた・・・

□本

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「南原先生と私——私個人の戦中・戦後の学問の歩み」
『丸山眞男 話文集 1』 丸山眞男手帖の会編 みすず書房 2008年

□抜粋

真珠湾攻撃の日——日本中が浮き足立った十二月八日に私は大学に来まして、すぐ先生の研究室に行き「先生、大変なことになりましたね」と。先生は非常に悲痛な顔をしてジッと目をつむって「これでもし枢軸が勝つようだったら世界の文化はおしまいです」と言われた。戦争後の現実から言えばそんなことは誰でも言えることです。だけど十二月八日のその日にすぐそういう判断のできた人は日本に何人いたか、——数えるほどしかいなかった。
つまり先生から根本に教わったことは、人間にしろ、国家にしろ、そういう経験的に目の前に存在しているものを絶対化してはいけない。国家というものがいかに大きな力を持ち、日本の帝国というものがいかに大きな力を持っているにしろ、日本の帝国がやることが正しいのではない。正義というものが日本の帝国の上にあって、それによって日本の帝国自身が裁かれなければいけない。日本の国自身が不正義の道を歩んでいるのであったら、それに与するべきではない、ということですね。
「教育勅語」をはじめとする大日本帝国での教育は、日本は世界に冠たる国体を持っているというのですから、日本国家のやることは皇道の発揮なんだ、当然、正義なんだ、国家のやることが正義なんだ——こういう考え方。ですから、日本の国家のやることを正義の立場から、あるいは信念の立場から批判するということが非常に困難であった。そういうものの見方を、あの困難な時代に堅持しておられたということが、私が南原先生から教わった最大の教訓の一つだった。
南原先生が・・・敗戦によって打ちのめされた日本人に日本国民としての誇りを失ってはいけない。日本の国が本当に新しく再生する絶好の機会なのだ。これをもって日本国民は精神的な改革をおこなわなければいけない、今までの日本のような日本の旧来の考え方をただズルズル引きずっていないで、精神的な革命をおこなわなければいけない。その精神的な革命というのは、日本の自由と独立というものを確保する道なんだ、ということを説いた。
これこそ内村鑑三が説いたのと同じ教えですね。・・・われわれがデモクラシーに立たなければいけないのは、負けたからデモクラシーになったのではない、アメリカが占領したからデモクラシーになったのではない。もしそうだとしたら、アメリカの力が退いたとしたら、あるいは世の中が変わったらもうデモクラシーはいらないと言うのか。そうじゃなくて、デモクラシーが真理と正義を代表しているからである。デモクラシーは戦争中でも正しい、日本がその道を踏み外していたというだけのこと、戦後になって急にデモクラシーが正しいということになったのではない。——これが先生の根本的な考え方。
したがって、戦争中日本の国家主義を批判していた先生は、戦争直後においては日本国民に対して、「日本国民としての誇りを失うな」ということを言われた。ここに世の中の流れというものに追随しない、逆にそこから独立して、いつも第一義的に何が真理か、何が正義かを考える——そういうものの考え方が非常によく現れていると思います。私が先生から学んだ最大のことは、そういうことでした。

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