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ヘレン、愛の信仰

今回はスウェーデンボルグにより霊的に開花したヘレン・ケラーの信仰の中心を見てみましょう。ひたすら引用します。

キリスト教を正しく理解するなら、それは"についての学問"なのです。主は、眼に見えるかたちでこの世に住まわれたとき、「すべての律法と預言者」は"神への"と"隣人への"という二つの戒めにもとづいているかどうかにかかっている、と宣言されました。

『私の宗教』

「あなたがたがもし私をするのなら、私の戒めを守りなさい」とか「永遠の生命は、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わしたイエス・キリストを知ることにある」とか「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば〔幸福や物質的な恵みなど〕あらゆることがあなたについてくるだろう」とか「私は"道"であり、"真理"であり、"生命"である」といった言葉は、ひたすら「神はなり、神はなり、神はなり!」ということを意味しているのです。

同書

こそは、それが善きものであれ悪しきものであれ、彼らの生命のいぶきであり、思考の燃料であり、歓ばしきものであり、天界か破滅かを決定づけるもの

こそが中心であり、命であり、美であり、万物の維持者である

とはその最高の意味において神そのものと同義であること、「主は天使や人間の霊の中に流れこむ」ということ、物質的世界とは神のが人間の生活に役立つふさわしい形態をとったものだということ、また神の"聖言"というのは、正しく理解するなら、全人類に向けられた神のの豊かさとすばらしさを啓示するもの

は人間のもっとも内奥の本質であり、それによって人間の霊的身体が形づくられています。そして私たちがと認識しているものは、その本質から発せられる暗号にすぎません。ちょうど大気が、触覚、嗅覚、味覚、視覚、聴覚に感覚的な実感を与えているように、じつはも人間のさまざまな能力を活性化し続けているのです。

おさらいしてみましょう。
神は愛であり、愛は生命の息吹であり、愛は歓ばしきものであり、愛は美であり、愛は万物の維持者であり、愛こそ中心であり、愛は人間のもっとも内奥の本質である、とヘレンは言うのです。

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