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子の夢と霊性、理性、教育
娘がお医者さんになりたいと夢をもち始めました。なってどうしたいのかと聞くと、採血して調べたり、聴診器を当てたりしたいと言います。
僕は人のためにとか、ましてやお父さんやお母さんのためにとか、じゃなくて本当に良かったと思います。彼女の言っているのは、なりたいからなろうとしているというだけ。彼女の夢は、理性もいくらか入っていますが、霊性もたっぷり入っています。
僕は彼女の選択を尊重したいです。その道がどんなに険しかろうが、とてもお金がかかろうが、できる範囲で見守り、お手伝いしようと思っています。
理性は未来をすぐ考え始めますから、親としてつい先回りしたくなります。お医者さんになるのはとても難しいんだよ、大変なんだよ、とか、じゃあもっと勉強しないとね、とか、お金がかかるんだからがんばってね、とか、ひと言も言いません。そんな言葉を僕は飲み込んで、ただただ見守って、お手伝いしようと思います。
もちろん、お医者さんになれなくてもいいのです。そして、なれてもいいのです。大切なことは、自分で道を選び、自分の足でどこまでも歩いていくことです。誰かに助けてもらってもいいです。誰かと一緒に歩いてもいいです。走ってもいいです。でも、親が車に乗せてあげたりとか、道を選んであげたりするのを、僕はしたくないです。
彼女のなりたいものになろうとする姿勢を評価したいです。そのために必要となってくる行動や習慣のために環境を整えたいとは思っています。アフォーダンスですね。でもお金にも限りがあるし、一緒にいられる時間にも限りがあります。
僕や妻は、娘の選んだ道の上のあぶなっかしい一歩一歩をできる範囲で見守り、ときどき手伝うだけなのです。描きたいから描くのと同じように、なりたいからなろうとするのです。それは霊性のメッセージで、生きるということです。大切にしてあげたいじゃないですか。
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