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あったらいいものは最低限

以前、脱成長社会になっていくこと、前回、その入口に立っていることを書きました。そこで僕は

もう脱成長社会に突入せざるを得ないという覚悟をもった方が良い

とお伝えしました。では脱成長社会に向けてどんな覚悟が必要なのか、今回、書いてみます。それは、ここにありました。


 「あったらいいもの」って考えたら、最低限のものでいいんじゃないですか。・・・お金の話でいえば、お金がありあまっていると、お金があることが当たり前になってしまうじゃないですか。それじゃあ、なくなったときに路頭に迷ってしまう。最低限だけ与えられて、それ以外は自分でなんとかしようというのが、大きくなったときに、自分が得するのじゃないかなと思いました。

『きまりって何?』 鶴見俊輔と中学生たち p34

ある中学生の、今では20年以上も前の発言です。この発言に僕はシビれました。ここには脱成長社会への予感があります。生き様すらも。


「お金がありあまっていると、お金があることが当たり前になってしまう」
「それじゃあ、なくなったときに路頭に迷ってしまう。」

もし仮に脱成長社会を前に立ちすくんでいる大人がいたとしたら、まさにその姿じゃないでしょうか。そこから、どうしたらいいか。


「「あったらいいもの」って考えたら、最低限のものでいい」

ミニマルであること。ミニマルなくらしを営むこと。それは何年か前に流行りましたが、今も多くの人々のくらしに、その浸透は進んでいることでしょう。

たしかに実質賃金は下がっています。そして、生活実感賃金はもっと下がっているかもしれません。でも、最低限のものを失ったわけではありません(もし失っている人や家庭があるのならそれは明らかに分配の問題です)。


「最低限だけ与えられて、それ以外は自分でなんとかしよう」

最低限のものだけを揃えて、あとは自分でなんとかする。その覚悟があれば、脱成長社会に入っていくことができるのではないでしょうか。

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