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問題なんてなかった

前回前々回で僕がストレスで過食になり上手く「いのり」ができていないこと、人間関係上の問題や、目標達成を阻む問題があるためストレスが生じていると述べました。

そもそも問題とは、特定の事象へと絞りこみをし、認識し、その解決方法を模索する足がかりを築いて、やがて解決策を見出すためのものでもあり、近代科学はそうして発展してきました。問題が、問題を乗り越える力を作ってきました。


ですが、あえてこんな見方をしてみたいと思います。

生きてるだけで丸儲け

明石家さんまの名言です。僕はこれを霊性から出てきた言葉ではないかと思っています。何より生きていることに価値がある。生きているからこそできることがある。可能性が拡がる。

僕が中学生の頃、高校受験で全部落ちたらどうしよう?と怖がっていた時がありました。その時に父が言いました。

大丈夫、死ぬわけじゃない。

いや、そうなんだけどさ・・、十分やばいでしょ・・と思っていました。でも、あれも霊性から出てきた言葉である気がします。霊性から出てくる言葉を理性では理解できません。受験に全部落ちることなんて、「いのち」からすればなんでもないことです。

魂から見れば、人間関係上の問題や目標達成を阻む問題なんて、どうでもいいです。あまりにささいなこと。霊性を用いて僕がそれらを見てみたら、問題として扱うには及ばぬ取るに足らないもの。


一方で乗り越えようとせんがためにストレスを生じさせながらも問題を認識する自分がいて、もう一方でそれはあまりにささいなことで問題ですらないと言い張る自分もいます。僕は、この二つの自分をともに大切にすべきだと思っています。だって、その通りですよ。


理性を握り、霊性を手放せば、立派な問題に見えてくる。霊性を握り、理性を手放せば、それは問題ですらない。僕たちは忙しいとき、あるいは追い詰められていると感じるとき、どうしても視野が狭められ、どちらか片方に寄りがちです。現代であれば、理性を握りやすいでしょう。

でもそうではなく、もっと自由に見ていくことが望ましいのではないでしょうか。問題はもちろんあるし、また問題なんてなかった、というふうに。

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