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世界のへりに立たせるもの *

こちら

の一部において、「世界のへりに立つ」ことをオススメしました。世界のへりに立つことで、なぜ生きるのか、どのように生きるのかという問いをもった上で日常にいた世界を見渡すことができるからです。そして、なぜ生きるのか、どのように生きるのかという問いに対し、なんらかの前向きな力を与えてくれる可能性が生じると考えているからです。


僕を世界のへりに立たせたものの一つに、東日本大震災があります。当時、その体験をメモしていました。

東北関東大震災、この未曾有の災害のもたらしたことはぼくらの日常から非日常へと引き剥がし、であった。則ちぼくらの未だ見ぬ、否、かつては見たことのあったかもしれぬ不可思議なふうけい、景色、それを経験した全ての人々に見せつけるものであった。ぼくらはそれを見、嫌がり、ぼくらはそれを見、むずがり、ぼくらはそれを見、吐き気し、いつの日か、ぼくらは振り返るとそれを別世界のように、「ああ・・随分と遠くに来てしまったのだな。」と思わせしめる恐れるべき、畏れるべき惨憺たる体験なのだった。

当時のメモ なぜか右側にいろは歌


当時の心情に合ったのか、地震のあとくり返し読んだのが、上のメモ書きをしたこちらの本。

エドワード・サイードの『知識人とは何か』です。表紙は英語しか書いてありませんが、中は日本語です。カバーはあったのですがおそらく、破れて修復できないレベルになり、捨ててしまったのだと思います。

中身は覚えていません。
アンラーンしてしまいました。

ただ一つ覚えているのは「世界のへりに立つ」ことを積極的に捉えていたということです。サイードはくり返すように、亡命者であり、周辺的存在であり、アウトサイダーであり、権力に対して真実を語ろうとする姿を肯定的に語ります。

世界のへりに、どのように立ち、何を見、どのように感じ、それを心に刻むかは、生きるうえで大切なことのように僕には思えるのです。

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