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不登園の記憶

「お腹が痛い・・」

「37度ある!」

園に近づくにつれて元気がなくなる。

園の入口で顔を下げてトボトボ歩く。


そんな日がつづきました。娘の年長の夏頃だったのですが、全体的に不登校の初期症状のようなものが見られました。たまたま僕の在宅勤務期間だったので、わりと長く断続的に休みを取りました。8・9月でひと月分くらいは休んでいました。

朝はいつも通り起きて、少しのんびり過ごして、ご飯を食べて、歯を磨いて、着替えて・・その前後あたりに「今日は行く?行かない?」と聞き、「行かない」と言えば休み、「行く」と言えば登園しました。登園しても、元気な感じではありませんでした。結局、早退した日もありました。


娘は引っ越す前も後も、園ではT.A.(ティーチングアシスタント)みたいと先生から褒められることがよくありました。いわゆる「良い子」なんでしょう。なので、僕は「悪い子」でいいんだからね、と何回も言いますが、「ヤダー!」と言い返されていました。

参観日に娘を目で追ってみると、いくつかのグループに分かれて遊んでいるときは、何分かおきに違うグループに行って遊んで、また別のグループに行ってという形で時間を過ごしていました。それで楽しいの?と聞くとうん!と答え、また誰が好きなの?とか誰と仲良しなの?とか聞いてもみんな好きと返事したり○○ちゃんと△△ちゃんと□□ちゃんと・・と結局ほぼ全員名前が挙がったりしました。僕はそんなやりとりの時、どちらかというと不安でした。


クラスには見えないバイオリズムがあります。それぞれの子にバイオリズムがありますが、実はその背景にあるその子の家庭のバイオリズムにたいてい近似しています。なので、クラスを時系列で追っていくと多くの子のバイオリズムが低めに集中する時があり、その時はクラス運営がとても難しくなります。結局の問題は、各家庭にあったりするので、事実上コントロール外です。

どうやら夏にそれがあったようです。先生たちでも大変なのに、T.A.もどきの娘にはひとたまりもなかったでしょう。なので好きなだけ休ませました。外出するのはお昼にお弁当を買いに行く時、僕の仕事が終わったら公園に行ってサッカーをする時くらいで、あとは家の中で何かを観ていたり、何かを作ったり描いたり、昼寝をしたり、ゲームをしていたり、おもちゃを引っ張り出して遊んだり、ぬり絵をしたり、タブレットで知育アプリをやっていました(ディスプレイを見る時間は制限付き)。


僕たちはみんなそれぞれ、内なる宇宙をもっています。神聖不可侵の領域です。生まれ育つなかで徐々に外なる宇宙があることを知り少しずつその2つのあいだに境界線が生じてきます。そして、この仮面はどう?こっちはどう?あれもいいかもね?と仮面の装着を要請されます。いずれかの仮面を選ばなければならないのでしょうが、分化した影が暗く強すぎたり内なる異性が育っていなかったりするとバランスしづらいですし、仮面はやがて固着してくるおそれがあります。

それはあくまで仮面です。取り外し可能であるべきだと僕は思います。不登園のとき、娘が仮面を取り外せる経験をしてくれていたら、僕はどんなに嬉しいでしょう。生きていくために仮面は必要ですが、仮面に人生を奪われては本末転倒です。

休むことは理性磨きを中断することになりますが、霊性磨きの再開を意味するかもしれません。不登校や不登園は、固着していた仮面の取り外しを試み、やがてよそに置いておいて、自分のもっている内なる宇宙をもう一度たしかめる時期なのではないでしょうか。

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