社会を明るくする運動 作文コンテスト おとなの部入賞作品
いじめ
青少年指導員 工藤 靖夫
最初に「いじめ」についてピーンとくるのは、マスコミ報道によるものです。
中学生が同級生のいじめにあって自殺してしまうケースが後を絶ちません。被害者は、毎日どういった気持ちで過ごしていたのでしょうか。例えばこんなケースが考えられます。みんなと同じ行動をとらなかったばかりに仲間外れにされてしまったり、からかわれたりしていたが、エスカレートしてお金の要求、従わなければ窃盗の指示をして出来なければ体罰を与える。被害者は、何も言い出せなくて「自分さえ我慢すればいいんだ」と思い込み耐え忍ぶ。さらには『死ね』などと言われ、耐え切れず自分の命を絶ってしまう。
昔は、学校が終わると地域で年齢関係なく遊んだものです。悪い事をすると叱ってくれるおじさんがいました。また、遊び仲間には、ガキ大将はいるものの、あるルールの中でリーダーシップをとって夕方暗くなるまで服が汚れようとお構いなしに遊んだものです。
かくれんぼう、クギ射し、めんこ、ビー玉などをメインに遊んだものでした。地域には、話の上手な方がいて、夕方うす暗くなるとお墓の前で恐い話をして、子供たちが興味津々と聞き入ったものです。
今は、学校が終わると塾に直行しなければならず、みんなで遊ぶ、話し合う事も自由に出来ない環境にあると思います。ここ1年以上は、コロナ対応でオンライン教育などが進められ、尚更に閉じこむ頻度も増えました。
一般的に対策といわれるのは、何かあったら誰でもいいから相談しなさいという事です。確かにその通りなのかも知られませんが本当は、何もなくても普段から何でも話が出来る環境を作ることが大事だと考えます。会社でも同じことですが、相談しようとした時に忙しそうにしていたり、「後でね」などと言われると相談する機会を逸してしまい、いじめが続いてしまうのではないかないでしょうか。
子供はSOSを発信しています。それを見落さずに気付き、対話をしていきましょう。
私たち青少年指導員は、「ジュニアキャンプ」や毎月実施している「ジュニア体験講座」などを活用し、子供たちの「自主性」や「協調性」などを育んでいます。キャンプでは同一行動をとらなかったり、ルールを守らなかったりすると厳しく指導しています。キャンプに3年生で入って何もわからずいた子が2、3年経つと班長などを務め、全体を見渡し、年少の子に指導したり確認したりしているのを見ると感動して、私たちが実施ていることが間違ってなかったんだなあと感じます。
デルタ株からオミクロン株に移行し、猛威を振るう事が予想されております。
私たちは、オミクロン株にビビる事なく、勿論、感染対策はシッカリとりながら、「やれない」じゃなく「今、出来る事をやる」、どうすれば出来るかを考えながら実施していき、子供たちが明るく楽しく、未来に向かって進んでいくための一翼を担っていく事を宣言します。
「いじめとは? お互いの心の行き違い?」
富士見ヶ丘自治会 蒲ケ原 昇
いじめられた!いじめた!と思っても、相手がある事なのでいじめられたと思っても、いじめた相手はいじめたと思っていない事や、いじめてやったと思っても、相手はいじめられたと思ってない事はよくある事です。いじめる方がこうすれば嫌な思いをするだろうと思ってやってみたら、相手はみんなが声をかけ遊んでくれたと思ったり、逆に仲良くなりたいと声をかけたりしたことから、相手は気づかないうちに嫌がったり、悲しい思いになったりしていることは多々あります。悪意が無くても相手は傷つき、悪意をもって接しても、余り嫌な感じをもっていないこともあります。
相手があることを意識し、相手の身になり相手を思いやる気持ちがあれば、誤解も減るであろうし、相手を自分に置き換えれば、これはいじめになるかもしれないとか、嫌な気持ちや腹が立つだろうことは、想像することが出来ます。思った以上にいいやつだったり、思った以上に嫌なやつだったり、色々な人がいます。
自分が傷つきやすかったり、物事を深刻に考えすぎる人は、自分をよく理解しゆっくりと人との付き合いを深めたり、工夫をする事はいじめを受けにくくする大事な防衛手段ですし、逆に行動を起こす前にあまり物事を考えない人は、知らないうちに相手に嫌な思いをさせている可能性が多々あります、往々にしてそうした人は無頓着で気が付かない人が多いようです。
人は色々な友人と出会い、友人を増やして色々な考え方を身に着け、心豊かな人生にすることは、非常に大事な事です。人付き合いに憶病になり過ぎず、相手を傷つけることを最小限にとどめるため、相手を思いやる気持ちをもって、思いの行き違いをなくす努力をしつつ、お互いに切磋琢磨しあえる友を多くもてることは幸せな事です。
いじめを続ける人は、結果的には友をなくし、信頼もなくします。また、いじめられたことを経験した人は、友を作ることに憶病になってしまいますが、親身に気持ちを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれる人は必ず現れるはずです。懲りずに勇気をもって相手を信頼して、心の行き違いがないように頑張ってください。きっと良い信頼できる友人に巡り合えます。
社会を明るくする運動「いじめ」の作文と標語の募集を通じて
大正地区社会福祉協議会 会長 萩谷 邦昭
令和2年度に引き続き、令和3年度もコロナ禍により、講習会・研修会及び意見交換会等の集会を開けず、深刻な社会問題にもなっている「いじめ」についての作文・標語を募集することに致しました。皆で考えて欲しいのです。お陰様で、作文が5人で5件、標語が101人で118件の応募がありました。「柳の下にドジョウは?」いました。感謝に堪えません。
「いじめ」は人間が社会生活を営み始めた古代より現代まで、何時でも、何処ででも起きている日常の出来事だと思っております。言わば、人間が生まれながらに持っている根源的な宿痾のようなものだと思います。でも、先人たちは最悪の悲劇に至らぬようにと、知恵や理性に訴え回避にと務めてきたと思います。だが、悲しいかな、全ての人が知恵や理性を等しく持つようには至っておりません。
マスコミ報道等の情報で、「いじめ」は、された人もした人も、共に取り返しのつかない傷を負い、最悪の場合、被害者は命を失い、加害者は刑罰を受けて人生を棒にふっています。
なぜ? こんな事件が繰り返されるのか? 「社会を明るくする運動」を通じて、一人ひとりが「いじめとは?」自問自答し意見交換して欲しいと願っています。応募作品がその一助となれれば主催者側として有難く存じます。
少なくとも、この大正地区からは、最悪事態に陥る事なく、事前に解決されることを願っています。その為の「仕掛けづくり」を皆さんと一緒に作ろうではありませんか! ご協力の程、よろしくお願いいたします。
小学生が応募してくれた「子どもの部」の作品が以下に掲載されています。あわせてご覧ください。