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大好きなおばあちゃんを天国まで見送ってきました


叔母から電話。なんとなく嫌な気がして一旦見てみぬふりをした。

でもなんかモヤモヤとして折り返しの電話をかけた。すぐに電話に出て、

「もしもし、たいちゃん?ちょっとビデオ電話にしていい?」

「いいよ!」と言い僕もビデオ電話にした。


そこには僕のおばあちゃんの姿が写っていた。

でも僕が知っている元気で、笑ってるおばあちゃんではなく、色んなところに管をつけていて、顔色が悪いおばあちゃんがそこにはいた。

見た瞬間は理解できなくて頭が真っ白。おばあちゃんは目の前にいるばすなのにおばあちゃんはどこ?と心の中で思いました。


叔母が「おばあちゃんね、今病院いるんだけど面会が私しかできなくてビデオ電話で色んな人に繋いでるの」という言葉で冷静になって、もう一度しっかりとおばあちゃんを見た。

管だらけなのは変わらないけど、確かにおばあちゃんで「おばあちゃん?たいすけだよ!」とたくさん声をかけた。

耳は聞こえているみたいですが、すでにおばあちゃんは話せない状態。でも僕が声をかけると、開けにくい目を必死に開けたり、言葉じゃないけど「ごぉー」と声を出してくれたり、たくさん反応してくれました。

「たくさん反応してる、さっき娘にテレビ電話したんだけどこんなに反応しなかったんだよ笑おばあちゃんはやっぱりたいちゃんが好きなんだね」

叔母がそういうと、涙が流れた。でもおばあちゃんに涙を見せたくなかったから無理矢理笑うことにした。

会話はできないけど、とにかくおばあちゃんに話しかけた。話しかけながら「何で今まで会いにいかなかったんだろう。話せるときに何でもっと話にいかなかったんだろう」と心の中でずっと思った。


「コロナで会いに行けなくてごめんねー」とか言ったけど、そんなのいいわけだ。テレビ電話もあるし、会社でzoom使って色んな人と話してるじゃん。なんでお前はテクノロジーを使ってビジネスはできるのに、家族と話せないんだよ。自分に腹が立った。

でも時間は戻せない。元気で料理を作ってくれて、明るいばーちゃんとは会えない。でも関係ない。おばあちゃんからしたら僕は何も変わってないからだ。会話はできないけど、目は見えるし、耳は聞こえる。僕の声はまだ聞こえる。

おばあちゃんが亡くなったときにどうして耳が聞こえるうちに声を届けなかったんだって言わないように今のうちにたくさん話そう。コロナもパンデミックも知らない。それを乗り越えるためにテクノロジーがあるんだ。ZoomでもLINEでもなんだって使えば声をとどけられる。

おばあちゃん大好きだよ。おばあちゃんが僕にたくさん優しくしてくれたから、優しい心を持てたよ。

おばあちゃんがたくさんのことに挑戦してくれたから、僕もたくさん挑戦することにしたよ。

おばあちゃんが辛いときにそばにいてくれたから強くなれたよ。

本当にありがとう。もう少しだけ生きてください。僕の言葉をあとちょっとだけ聞いてください。明日またテレビ電話するね。


ーー

翌日の朝、起きて携帯を見ると叔母からLINEが来ていた。

「おばあちゃん朝の5時半頃に息を引き取ったよ。穏やかな最期だったよ。たいすけの声聞いて安心して逝けたと思うよ。ありがとね。」


涙が止まらなかった。またテレビ電話をして生きているおばあちゃんに会えると僕は勘違いしていた。心の整理ができなかった。

毎朝出社までに自己研鑽として読書や動画を見ることが習慣だけど、その日の朝は何も手がつかなくて色んなことをたくさん考えた。

昨日の晩から今日の今朝までおばあちゃんは何を考えていたんだろうか

亡くなるときに怖くなかったのかな

テレビ電話で僕に「ごぉー」って言っていたのは何を言ってたんだろう。「たいちゃん、たいちゃん」って呼んでくれてたのかな。

考えても考えても何にもわからなくて、ただただ涙が流れた。考えてもわからないから心の整理ができたらと、なんとなく紙におばあちゃんとの思い出を書き出すことにした。


書き出すたびに映像が頭の中を流れていった。僕はおばあちゃんに色んなことを教えてもらったし、体験させてもらえたし、人に優しくなれた。改めておばあちゃんが大好きなんだなって思えた。

同時に悲しみに打ち勝つ必要はないんだと思った。おばあちゃんはもういないけど、おばあちゃんとの思い出は僕の頭の中にたくさんある。過ごした日々を忘れずに生きよう。死を受け入れて生きようと思えた。

少しだけ落ち着いた。最後におばあちゃんの顔を見て天国まで見送ってあげよう。

ーーー

お葬式当日。

近くのお店でおばあちゃんが好きなものをたくさん買っていくことにした。

おばあちゃんの好きそうなお花を持っていってあげよ!

あんまき売ってる!おばあちゃんにも買って行ってあげなきゃ!

病気で食べれなかった漬物も!

和菓子も好きだったよね。同じのがたくさん入ってるのだと飽きちゃうから、饅頭もどら焼きもなごやんも色んなの買っていこ!

「うわ、待って天国ってこんなにたくさん持って行ったら怒られるかな」とか意味わからない心配をしながら、まるで生きているおばあちゃんに渡すかの如く好きなものを買いました。


ビニール袋をたくさん抱えて斎場へ。案内してくれる方について行くと棺が。

そこには綺麗なおばあちゃんの姿がありました。テレビ電話で繋いでみたときの管だらけで苦しそうなおばあちゃんではなくて、安らかに少し微笑んでいるおばあちゃん。

不思議と涙は出なかった。なんだろう、会うまでは心がぐちゃぐちゃだったのに顔を見ると安心する。やっぱおばあちゃんすごい!いつだって僕を包みこんでくれる。

葬儀が進む間もおばあちゃんにたくさん話しかけて、最後に棺の中におばあちゃんの好きなものをたくさん入れてあげた。頬を触って、おでこを触って「ほんとありがとうね。食べ物たくさん入れたから天国でたくさん食べてね。声も出なくて大変だったね。天国では声が枯れるくらいたくさん話してね」

体は冷たかったけど、寂しくはなかった。うん、大丈夫。前を向いて生きれそうだ。

火葬が終わって家に帰った。すぐにおばあちゃんに買っていったあんまきと同じものを食べることにした。

「待って、天国って入場手続きとかあるのかな、まだおばあちゃんあんまき食べてないかな、いや天国だぞそんな堅苦しくないでしょ、今食べてるよ」と意味のわからない妄想をしながらあんまきをかじった。

「ばあちゃん、あんまき美味しい?」「和菓子食べた?漬物は?」「お花たくさん入れたけど、見てくれた?」

おばあちゃんにたくさん質問していたら、あっという間にあんまきが残りひと口になっていた。

「相変わらずバクバク食べちゃってごめんね笑きっとおばあちゃんもすぐに食べちゃうと思うからさ、僕が天国行くときにはお花も和菓子もたくさん抱えて会いにいくね。そのとき積もりに積もったお話をしましょう。まだ話せていないことたくさんあるんだ、おばあちゃんに聞きたいこともたくさんあるんだ」

あんまきの最後の一口を食べて僕の夏が終わった。

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