愛されてるのにね〜

「愛を受け容れてください」
昨日私は某ワークショップのトレーナーに言われました。

愛を受け容れる。。。

これってどういうことかなかなか実感できないですよね。
素直じゃないとか、妻の愛を疑っているとか、そういうことじゃないんだな。

自分が愛される存在であると認める、ということ。

人間ネガティブな思い込みを溜めやすい動物なので、
1。自分は価値がない とか、
2。自分は孤独なんだ、とか、
3。自分は何か欠けている、とか
4。自分は愛されていない、とか

思ったりするものなんです。
(由佐美加子さん「ザ・メンタルモデル」より)

ま、いずれにしても、自分がヒトから愛されているなんて自信をもって言えないわけです。

長年連れ添った夫婦だって、「こんな俺を愛してくれているわけない!」とか、疑心暗鬼になったりするわけです。
付き合い始めのカップルも「こんな私をずっと好きでいてくれるかしら」なんて思っているわけです。
頭の中はゴチャゴチャしちゃって、確認しようもないから不安だらけ。
「愛してる?」って、聞いて「愛してるよ」と言われても、ホント?と聞き返す、しょうもないことを言葉に出さずとも老いも若きもやっているわけです。

これって、一生続く可能性あり。

だって、あなたが愛されているかなんて、あなたがそう信じない限り誰も教えてあげられないもの。

愛されてるなんて、確認することはおやめなさい。
愛されている状態はないんです。
愛しているという行動しかないんです。

愛している状態は自分がワクワクして生きてないと見えてこないんです。
行動して、体験して、ワクワクしながら、見るもの聞くもの楽しくてしょうがない、そんな状態で生きていくこと。それが「生きる」ということ。

そんな状態ってどんな状態か分かりますか?

自分なんてものは意識していないんです。
「自分」は消えちゃっている。
やっていること、見るもの、聞くものが楽しくてしょうがない。

無我夢中で砂場で遊んでいる子供を見たことがありますか? 
無我夢中で部活の練習でサッカーボールをゴールに決め込もうとする高校生を見たことがありますか? 
一所懸命に医学の論文に目を通す大学院生を見たことがありますか? 
子供と向き合って公園でサッカーで遊ぶお父さんを見たことがありますか?

そんな子供や高校生や大学院生やお父さんは、
その瞬間「自分」が消えている。
自分がどう見られているかなんて微塵も考えていない。 
目の前のことに集中している、100%。 

そういう何かに夢中になっている人の姿を見て、愛おしいと感じた経験はないですか?
それも愛と言えないですか?

夢中になって行動している、それが生きているということなんです。 そして、我々は「生きている」人に愛を感じるんです。 我々が赤ちゃんに愛を感じるのは、赤ちゃんがまさに無我夢中で「生きている」からなんです。

愛はそもそも無条件のものです。そして無限のものです。でも、みんなそれを隠しているんです。

何かに夢中になったものがそれに気づくのです。
自分は人生に愛されていると。この世に生まれてよかったと。そして、夢中になれるものは必ずあるんです。
それを見守ってくれる人がいる、それは愛と言えないですか? 

見守ってくれる人に対して、あなたは感謝を抱くでしょう。それって愛と言えないですか?

もとよりあなたは一人ではない。見守ってくれる人が必ずいる。 それをあなたは気づいていますか? 素直に受け容れていますか?

愛を受け容れていますか? (自戒を込めて)






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