きっと、明石市市長を非難する人は、これも批判するのだろ。

そういえば、隋の張須陀が「飢饉にあって米が騰貴したため、須陀は無断で官倉を開いてほどこし、その後に報告した。煬帝はこのことで須陀をとがめなかった。」
て話を思い出した。

民が食えなくて、最後は死か謀反かってなったときに、倉を開けて民を助けたのだけど。。。

明石市長の施策に反対する人が、張須陀のようなことを是とするとは思えない。

ちなみに、中国史や、日本の江戸時代には、このような臨時の府庫の開放で、住民を救うのはしばしばある例だった。

ゲリラ豪雨対策に600億円という“過剰”投資を見直し、
補修改修の150億円に適正化(450億円減)

仮に必要で有っても、今は「貧困で殺される人を救う。貧困で生まれない子を救う」方が、大事でしょう。

でも、まあそれが許せないのは、日本人の小役人根性と、「利権屋の仲間」だからと言える。

ただ、明石市は、それなりに土建屋さんもマンション建設で儲かっているので、きっと、パソナとか大手派遣業者の連中が、許せんのでしょうな。

追記

本当にインフラ整備で経済も上げて、それで子育ても生活も守れるのなら、それを逆張りに売りにする自治体があってもしかるべきです。

でも無い。

のは、インフラ整備が、もう経済浮揚も、雇用も守ることすらできなくなっている。それを阻害する中抜きと汚職のシステム。と、仮にそれが無くてもそれ以前に直接、住民に銭や生活の支援が必要な社会の貧困状態とみていいのだろう。

それが「やっぱりインフラ整備も大事でしょう」って声が、虚しい大きな要因と思われる。

ポピュリズムでなく、官僚組織・役所と企業の癒着腐敗と、経済苦が、「インフラ整備とうるさいは」ってなるのだ。

その「経済苦」「役所と企業の腐敗」を解消しなければ、インフラ整備が、その威力を発揮することが無く、それを「大義名分」に「利権の謳歌」と「庶民虐殺」が行われることになるのである。

まあ、上級国民って家畜には、理解不能な話だろうね。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?