少しちょっと感じたのが・・・
学校教育自体が、「発達障碍者を製造装置」の面があると思う。
空気は読めるようなる・・・でも、その周りの世界の動向は・・・自然や、自分の命を守るのための先読みは・・・もっと読めなくなった。
まあ、明治以降の外交政策やそれを受け取る日本人・・庶民も知識人も、、大概な発達障碍者よりも、「世界」の空気を読めないのであるからね。
まあ「世界の空気」「まともな論理」が読めると、「天皇」の存在など、認めるのが「アホ」ってわかってしまうからね・・・
「天皇」を権威の頂点にして「天皇の理由を問わない・問えない」~国家・社会の正当性やその存在理由を問わない。
てのが「天皇」
なら「これが悪い」「虐殺は絶対悪」とか言っても、その悪事に「天皇」が加担したら「素晴らしい虐殺」「正義の鉄槌」になる。
それが「天皇」というモノの実体であるのは、前の敗戦で「天皇が責任を取らない」ことで明らかになっている。
崇徳院・後鳥羽院でも島流しになっているのに、裕仁が無罪放免とは、「天皇」にとって、「日本人が夷狄に虐殺されるのは、無問題」である・・てのが、天皇日本の法秩序になっているしね・・
なら「侵略者に沖縄が犯されている」など「天皇家の利権・天皇の存在理由に関係無い」で抹殺できるのだ。
そうなると、「状況に合わせて論理的に考え、適切な行動をする」よりも「空気を読んで、周囲や権威に合わせる」ことをしないと、潰され殺されますよね・・。
まさに
その通りなのです。
だから、逆に「世界の空気」とか「自分の命を守る」とかには、その「読み」が通用しないのですよね。
未だに「ウクライナ支持」とか「mRNAワクチンの接種の続行」とか、その端的な例ですよね。
まあ、徒然な感想です。