水子供養ていうか・・・「踏みつぶしてなかったこと」にされた人や命は訴える。


李朝は、日本と同等な国力・文化力を持ちながら、帝政日本に支配された原因には、まあ明君・正祖が改革半ばで死んだこともあるけど、朱子学とかの影響で次男・三男等、家を継がない人の供養を蔑ろにしたところも私はあると思う。


で、水子ってそもそもそんなに供養はしなかったし、戦後は半分脅しと宣伝でするようになってはいる。

まあもう少しした方がいいのかも・・・間引きの親戚みたいなもので・・

それ以上に思うのが、戦前まで「水子」の供養など考えなかったように、放置されて、その処遇や尊厳を顧みられなかった、障碍者・いじめ被害者・失業者・知的障碍者精神障碍者での触法犯罪者とか、、そういう「封じ込められた、黙らされた人」の声・怒りが、湧き上がってふさぐことはできなくなった。

まだ供養して、あるいは福祉政策や教育政策で、フォローと保護をしていたら、こういう「爆発」は起きなかっただろうが。


まあ、「あまりにも、不遇になった人への思いやりがなさすぎる」{左伝だったか}ので、その当然の報いを、国家がセレブが天皇が、受け始めているってのかもしれない。









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