リベラルが攻撃的カルトになったゆえん。
より
上記文抜粋
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他者の自由を攻撃し、自分の自由を主張するのがリベラルか?
リベラルやリベラリズムの完全否定はマズいだろうが、大筋では引用文に同感である。
私は弱者救済とか弱者保護の思想が「リベラリズム」という言葉で変質させられていると思う。自由の拡大はすべて善だという「宗教」になっているのではないか。「自由」ではなく、まさに「寛容と博愛」こそが政治のベースになるべきだろう。「新自由主義」というものがいかに残忍に無数の人々を苦しめてきたかを見れば、「自由」という概念の害毒性が分かると思う。
引用部分の上の方に書かれたツィートは小森何とかいう小説家・評論家のものだが、
立派な理想を掲げていれば、どんどん正反対のことができる
という言葉は興味深い。いずれ考察する思考素になるかもしれない。
昔の「連合赤軍事件」を思い出した。
(以下引用)
リベラルって寛容と博愛がベースのはずなのに、この通りだとしたら全く正反対ですね。隣人愛とか自己犠牲を掲げているキリスト教を信じる人達が、苛烈な異端審問やら魔女狩りやら異教徒迫害へと邁進するのに似て、立派な理想を掲げていれば、どんどん正反対のことができるということかも。 https://t.co/o5jm7sCOJn
— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) October 12, 2021
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抜粋終わり
よーすけさんがその辺を言っている。
大東社系左派の暴力が一神教の宗教的暴力行為と同質だという事実を新旧左翼の連中に対し指摘すると猛反発してくるが、痛いところを突かれた反応と見るべきでしょう。彼らの一部が廣松哲学に反感を抱くのもその所為だと思います。
— よーすけ (@yoshimichi0409) October 12, 2021
「弁証法的理性」や「物質」なる概念を実体視してそれがこの世の全てを司るとするスターリンの弁証法的唯物論や黒田寛一の物質の哲学は、その思想や行動の機制が西欧基督教の有神論と同質と見て間違いない。意見を異にする他者に凄まじい暴力を振るうのは、その表れ。 https://t.co/OgDJQJ7W3U
— よーすけ (@yoshimichi0409) October 12, 2021
仰る通りです。その点、関係論に依拠する廣松哲学にはどこか鷹揚さを感じます。廣松氏は新左翼のセクトに襲撃された事があるそうですが、逆は無いでしょう。実体論に固執すると暴力的になる証左ですね。
— 菊池 (@kikuchi_8) October 12, 2021
無神論又は無神論的傾向を持つ大東社系思想も西洋の有神論と同様に実体論である。例えば「神」ではなく「理性」や「物質」という実体を立てているからである。大東社系勢力が十字軍的な行動をするのは、思想・行動の根本の機制が十字軍と同じであるからに他ならない。概念的対象に執着するとそうなる。
— 菊池 (@kikuchi_8) October 12, 2021
なるほど、そうだったのですね。既成の左派勢力の中で廣松氏の関係論哲学を学ぶ者が増えると、大東社系から抜ける者も多くなるのではないかと思います。純哲学的な認識論的存在論的観点で見ると、廣松哲学は東洋の伝統的な学に通じるものを感じます。
— 菊池 (@kikuchi_8) October 12, 2021
実体化・・・あるいは「絶対化」することで、硬直化し、本来持っていた慈悲・慈愛を失って、殺人鬼になっていく・・・
て感じ。
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