これ重要。



上記文抜粋
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謎を解く鍵は無関係に見える「御巣鷹の尾根」の名前に隠されていた

地名として現在でも『御巣鷹』の名前は決してメジャーではなくて、墜落地点の『御巣鷹の尾根』以外では東京電力が所有する『御巣鷹山トンネル』ぐらいなのである。
群馬県と長野県を結ぶ御巣鷹山トンネルは日本最大の揚水ダムの為に東京電力が建設して、完成後には地元住民に開放される約束だったが現在でも閉鎖されたまま。
写真↑が示すように長野県側は御巣鷹トンネルの入り口まで行けるが、群馬県側はトンネルの遥か手前で一般の通行は禁止されていて近づけない。
上池の長野県の南相木ダムは日本のダムとしては一番標高が高くて1532メートル。下池である群馬県の上野ダムとの揚水発電で日本最大の282万キロワットもの最大発電能力を持つが、この二つを結ぶのが御巣鷹山トンネル。
なんと、520人が死んだ日航機の墜落地点(御巣鷹の尾根)とは、世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原発や未曾有の核事故を起こした福島第一原発を所有している東京電力が地権者だったのである。
そもそも夜間に余った電気で揚水して昼間に発電する『揚水発電』とは原発の付属施設なのである。
臨界に達した原発は簡単には止めれない。1年間動かしたままになるので電力需要が下がる夜間には無駄になる。原発を稼動させるとエネルギーの浪費だとは知っていても仕方なく毎日毎日揚水して電気を消費する必要性が生まれる。
フクシマの核事故以後には東京電力管内では原発は一切稼動していないのですから、揚水発電所の存在自体がまったく無意味。完全に無駄。丸々『無用の長物』

日航123便ボーイング747ジャンボ機の危険な放射性物質の積荷

1999年の東海村臨界事故や2011年の福島第一原発事故での放射能汚染以外に、1985年に東京から100キロ圏で誰にも知られることなく、もう一つの放射能汚染が起きていた可能性が高い。
2004年8月13日、在日米軍(海兵隊)の大型輸送ヘリCH-53Dが沖縄国際大学に墜落する。
米軍基地の外側であるにも拘らず事故直後アメリカ軍が現場を封鎖し、事故を起こした機体を搬出するまで日本の警察・行政・大学関係者など、日本人は現場に一切立ち入れなかった。
当該機のローターブレードにはストロンチウム90が部品として使われており放射性物質による汚染が心配されたので封鎖したのである。
1985年8月12日、524人が乗った日航機が御巣鷹の尾根に墜落するが、自衛隊が意識的に偽情報をばら撒いた。
警察や消防、地元救助隊やマスコミなど文民や民間人の墜落現場への立ち入りを妨害した自衛隊の目的(理由)は、普天間の海兵隊ヘリ墜落時に現場を一時的に封鎖した米日米軍と同じだった。
放射能汚染を心配していたのである。
当時の日航123便「JA8119号機」の機体には、振動防止の重し(バランス・ウェート)として200キロ以上の大量の劣化ウラン(ウラン238)が使われていたのである。
墜落事故発生の翌年の1986年(昭和61年)1月3日(金)、『日航ジャンボ惨事 墜落機に大量のウラン 200キロは未回収のまま』としんぶん赤旗が報じている。
機体のウランの重り以外にも、墜落した日航機にはラジオアイソトープを含め合計92個、容器も含めた重量239キロもの放射性同位元素が積荷として持ち込まれていた。
日航機が御巣鷹に墜落した1985年8月12日の2日後の1985年(昭和60年)8月14日(水)に、『医療用アイソトープ  92個積む 事故機』(毎日)『積み荷の中にアイソトープ 「危険なし」確認』(山陰)『積み荷に放射性同位元素 関西の病院へ輸送中』(赤旗)と報じている。

日航123便の放射性同位元素の積荷の危険度

墜落機には、京都大学放射性同位元素総合センターや大阪大学など関西の大学や研究所に向けて、日本アイソトープ協会(72個の梱包)と医薬品メーカー2社(20個の梱包)など14核種の放射性物質が積み込まれていた。
しかし科学技術庁は積まれていた放射性物質の種類や量などについて何年間も正式な公表をしていない。
14核種のうちの半減期12・3年のトリチウムや半減期5730年の炭素14は格納容器が壊れると昇華して大気に放出される。
公表されたヨウ素131(半減期8.05日)ヨウ素125(半減期60.2日)ガリウム67(半減期77.9時間)モリブデン99(半減期67時間)リン32 (半減期14.3日)などの多くは医療用に使われガンマ線を出すので測定し易い。
しかし事故後何年も公表されていなかった核種には、プルトニウムと同様に極めて毒性が高いアメリシウム241などの(測定し難い)アルファ線やベーター線を出す核種が含まれていた。
積み荷の放射性物質の総放射能量は約162ミリキュリー。
うち回収されたものは、およそ65%の約105ミリキュリーで他の57ミリキュリー(21億9百万ベクレル)は環境に放出した。容器の数では総数281個のうち回収されたのは68個。

日航機の248キロのウラン

重金属としてのウランは比重19でタングステン製(比重19.1)に匹敵し鉛(比重11.3)の2倍近く重いので尾翼などの機体の振動を防止するための重りとして248キロも日航機には使用されていた。 
積まれていた放射性物質は200キロのラジオアイソトープだけではなかったのである。
重りとして使用された劣化ウラン(ウラン238)は腐食が激しく、半減期が45億年でアルファ線とガンマー線を出し、放射能毒性に加え化学毒性もある。
劣化ウランは金属ナトリウムに似た可燃性の金属で150~170℃の低温でも激しく燃える。(粉末では自然発火する)
危険な劣化ウランの重りはボーイング747に経費削減の為に使われていたが、事故当時には他の多くの飛行機に使われていたらしい。
事故後に日航は、安全のため機体に使われているウランをタングステン製に取り替え、新たに作る機体にはウランは使わないとしている。

全ての謎は「放射能汚染」に関連していた

折角救難ヘリからロープで降下中に、突然御巣鷹の尾根から撤退した在日アメリカ軍の不思議も、次々偽情報をマスコミに発表して地元の救助隊やマスコミを墜落現場から遠ざけた原因の不思議も、翌日の10時まで墜落現場への降下を遅らした自衛隊の組織的なサボタージュした不思議も、山腹へ激突して炎上した機体からの劣化ウランとか放射性同位元素の汚染濃度が、少しでも下がるのを待っていたと考えれば、全ての辻褄がぴったりと合ってくる。
墜落事故直後に日航は事故機に劣化ウランが使われていると当局に伝えた。
1時間半後には日本アイソトープ協会から警察に放射性同位元素の情報が伝えられている。
墜落事故発生の当初から、科学技術庁原子力安全局は日航機の墜落では、『放射能汚染』を心配していたのである。
墜落して5時間後の13日未明には、早くも放射性物質輸送に関係する各省庁で構成された『放射性物質事故対策会議』が設置されている。
お役所仕事とは思えない手際のよさ。
13日0時55分、災害出動要請の陸上自衛隊東部方面総監部にも『この情報は必要なところ以外流すな』という但し書きつきの『放射能汚染』情報が知らされている。
東部方面総監部は夜間の救助を断念、密かに大宮の化学防護隊に応援を依頼していたという。
総監部からの情報で現地の第12師団では隊員にたいし、『現場付近に到着しても、別命あるまで現場には立入るな』と厳命する。
放射性物質が大丈夫と確認されたのは墜落から10時間25分後の8月13日午前4時50分だった。
時間が経過したあとでも、現場の地表面で自然界の数十倍の最大3ミリレントゲン/時の放射能汚染が明らかになっている。(墜落直後はもっと高濃度だった)
事故対策会議が放射能汚染が『救助活動に支障無し』と発表したのは自衛隊が墜落現場を御巣鷹山と確定した11分後の8月13日4時50分だった。
しかし慎重な自衛隊は動かない。
慌てず騒がず、救助隊が習志野の駐屯地を出発するのは通常勤務の8時で、実際に現場に降下するのは9時近い。
自衛隊は放射能汚染を心配して(隊員の安全と健康を最大限考慮して)、出来る限り救助の開始時間を遅らしたのである。
(当時は快晴で5時前には十分明るく救助活動に支障はない)
科学技術庁が情報を出し渋った為に、総重量239キロのアイソトープの搭載が分かったのは墜落事故から2日後の14日だった。
日航機に大量の劣化ウランの重りが使われ、大部分が墜落で失われていたことが判明したのは事故から8日後の8月20日だった。
墜落事故で飛散したラジオアイソトープなど放射性汚染物質の危険性についての情報が、救助現場の自衛隊員に伝わったか如何かは不明。
御巣鷹山の日航機の墜落現場では、深刻な放射能汚染の事実をまったく知らされなかった何千人という警察や消防、報道関係者など文民や民間人が活動していたのである。
日航機123便墜落に伴う放射能汚染についてマスコミ報道は、報道総量の膨大さとは対照的に、お座成りであり到底十分ではなかった。
日本のマスメディアは、何故か『放射能汚染』には最初から腰が引けていたのである。

摩訶不思議な御巣鷹の命名の謎

当時のマスコミ発表では、墜落地点は常に長野県側の扇平山や御座山だった。新聞やテレビニュースでは長野県の山岳地帯に墜落したと報じていたのです。
一番最初に群馬県側の『御巣鷹山』の名前がマスコミに出て来るのは読売新聞で、日航機が墜落した翌日の8月13日の2時ごろ。(この時点では自衛隊は御巣鷹の名前を一切出していないので不思議だ)
墜落現場は地元の上野村村長が後に、『御巣鷹の尾根』と正式に命名して確定している。
ところが、地図も見れば一目瞭然だが墜落地点の尾根は、御巣鷹山には少しも繋がっていない。
墜落現場の『御巣鷹の尾根』からは、困ったことに『御巣鷹山』が少しも見えないのである。
しかも日航機が墜落するまで地元でも『御巣鷹』の名前は東京電力が所有する『御巣鷹トンネル』ぐらいで決してメジャーではない。
山としては何の特徴もなく、まったくの無名。
そもそも1639メートルの御巣鷹山の三等三角点は存在するが、長野と群馬の県境の主稜線の1922メートルのピークから派生した支尾根の小さな突起程度で山の形を成していない。
墜落現場は1978メートルの二等三角点がある高天原山である。
この付近で一番有名なのは三国峠から簡単に登れて群馬長野埼玉3県の県境にある三国山1838メートル(一等三角点)で距離的にも御巣鷹山より若干近い。
墜落地点の地名として誤解を与えてしまうので、『御巣鷹の尾根』の名称は不適当なのである。
世紀の大事件の名前が、何故まったく無関係で無特徴、誰も気が付かない無名のヤブ山である御巣鷹山に確定したのかは、『謎である』としか言いようが無い。

御巣鷹の尾根命名者の黒沢丈夫上野村村長

日航機123便は墜落直後に米軍や自衛隊によって、正確な墜落地点は特定されていた。
ところが不思議なことにNHKニュースは墜落現場について最初は10キロほど離れた群馬県上野村小倉山、上野村と長野県の県境のぶどう峠、長野県の御座山などと二転三転する報道を行った。
当時の上野村村長は元零戦パイロット(元海軍少佐)で本土決戦の為に敗戦3ヶ月前にシンガポールから日本本土に転属して命拾いした経歴を持つ黒沢丈夫だった。
黒沢元村長をはじめ、救援にあたった地元上野村の救助隊は今でも自衛隊やマスコミの動きに疑問を感じている。
黒沢村長が自衛隊発表に不信感を抱い原因は、大火災が発生している(目立ちすぎる)墜落地点の致命的な計測ミスが『なぜ連続的に発生したのか』に尽きる。
零戦が活躍した第二次世界大戦の時代でも墜落地点の特定は可能なのです。
最新技術を持つ自衛隊が『墜落地点が特定できない』などは絶対に有り得ないのである。
それなら、何故、墜落現場の特定が遅れたのか。
自衛隊だけが特別で、まったく別々のパイロットが全員一致で『同じ過失』(勘違い?)を連続して繰り返していたのである。
それなら、過失で『遅れた』わけではない。
救助隊を分散させ、数時間にわたって、御巣鷹山に誰も近づけないようにする為に、自衛隊は組織として意識的に『遅らされていた。』可能性が一番高いのである。
生存者の証言によると墜落直後には周囲で沢山の遭難者の声が聞こえていた。ところが時間と共に全ては無駄に失われて仕舞う。
黒沢丈夫上野村村長は救助の遅れの原因となった自衛隊に対して怒りを隠さなかったという。


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抜粋終わり


もしかして、123便は、「空飛ぶ核兵器」だったのかもしれない。


それもあった。


天皇国家は、いつも棄民。


天皇は 逆賊。


天皇の無い 青い空を取り戻す。

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