欲だらけなので「本当の事」が見えない。


最近、気づいたのだけど

老子の第一章 


道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず。名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。名無きは天地(てんち)の始め、名有るは万物(ばんぶつ)の母。故(ゆえ)に常(つね)に無欲(むよく)にしてその妙を観、常に有欲にしてその徼を観る。この両者は同じきに出でて而(しか)も名を異(こと)にす。同じきをこれを玄(げん)と謂(い)い、玄のまた玄は、衆妙(しゅうみょう)の門なり。

>故(ゆえ)に常(つね)に無欲(むよく)にしてその妙を観、常に有欲にしてその徼を観る。この両者は同じきに出でて而(しか)も名を異(こと)にす。

・欲が無いと、その「妙」を見れる。

・欲だらけだと、「ものの結果」しか見えない。

老子の解釈はいろいろあるけど、こういう風に解釈。


欲だらけだから、目がくらむ。

欲が無いと、よく見える。


てのもあるよね。


そういえば、諸葛孔明の「自分の子供向けの遺書」戒子書が良いことを書いている。



諸葛孔明 戒子書

君子の行いは、静以て身を修め、倹以て徳を養う。
淡泊に非ずんば以って志を明らかにするなく、
寧静に非ずんば以って遠きを到すなし。
夫(そ)れ学は須く静なるべし。
才は須く学ぶべし。
学に非ずんば以って才を広むるなし。
静に非ずんば以って学を成すなし。
慆慢(とうまん)なれば則ち励精すること能わず。
険躁(けんそう)なれば則ち性を理むる能わず。
年、時とともに馳せ、意、歳とともに去り、遂に枯落を成す。


>淡泊に非ずんば以って志を明らかにするなく、

>寧静に非ずんば以って遠きを到すなし

>学はすべからく静なるべし。


私の訳

欲が薄くなければ、志を明らかできるはずもなく
安らかで静かでなければ、深遠なことがわからない。
学ぶにはすべからず平静でなければいけない。


欲が多すぎると、志もわからなくなる。

ましてや、「本当のこと・大切なモノ」など、見えなくなる。


よ~く考えてみると、天皇信者って大概「富裕層」なんだよな。

あとは「右翼団体」とか「学校で洗脳された人」

右翼も半分はCIAの銭も突っ込まれているし。

欲だらけで、さらに我欲だらけ。


「本当にこと・大切なもの」は実はすでに見えている。かもしれない。


でも「我欲だらけ」で傲慢だから、な~にもわからなくなっている。


そんな気がしますね・・









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?