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富のもつ癖と、仏さんと。





なんか、聖天・毘沙門天・弁財天・大黒天 て、その富の持つ性格を表しているように思う。


聖天 ・偶然なり突然・身のたけに合わない富。信仰でも「やめてはいけない」「無礼に非常に敏感」等、慎重に扱わないと、身を亡ぼす。

毘沙門天 ・公的社会貢献の富。私欲で動かしだすと消えてしまう。

弁財天 ・流動的な富。ため込むとそれが命取りになる。

大黒天 ・蓄積型・努力型の富。 それだけの富には、それだけの努力が必要。



富のもつ癖・習性なりも、表しているように思える。



西欧由来の「富」の発想は、なんか貧相に思えるのは、私だけだろうか・・


第一に、不平等が蔓延し、社会的流動性が停滞する状況の下で、われわれは自分の運命に責任を負っており、自分の手にするものに値する存在だというメッセージを繰り返すことは、連帯をむしばみ、グローバリゼーションに取り残された人びとの自信を失わせる。第二に、大卒の学位は立派な仕事やまともな暮らしへの主要ルートだと強調することは、学歴偏重の偏見を生み出す。それは労働の尊厳を傷つけ、大学へ行かなかった人びとをおとしめる。第三に、社会的・政治的問題を最もうまく解決するのは、高度な教育を受けた価値中立的な専門家だと主張することは、テクノクラート的なうぬぼれである。それは民主主義を腐敗させ、一般市民の力を奪うことになる。

富について、西欧やその流儀のエリート・成功者は、実はあまりに浅薄な「強盗」もどきだったってすら思う。



そんな風に思ったわけで。





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