上記文抜粋
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天皇のためと信じて真剣に戦った若者ほど、敗けても責任を取らない天皇に怒っていた。
考えてみれば、これは当たり前のことかもしれない。
16歳で自ら海軍に志願し、少年兵として戦艦武蔵の最期を生き延びた渡辺清氏は、無条件降伏という最悪の事態に至っても自決も退位もしようとせず、それどころか敵の総司令官マッカーサーにすり寄って保身を図る天皇裕仁の姿を見て、のたうち回るほどの怒りに震えていた。
1945年9月2日の日記:[1]
10月14日の日記:[2]
沖縄の作家・目取真俊氏の父親も、日本が敗けたら天皇は自決すると思っていたという。[3]
鉄血勤皇隊とは、沖縄戦に際して中等学校や青年学校の生徒たちが動員された学徒隊の一つだ。鉄血勤皇隊やひめゆり隊を含む学徒隊は2000名以上が前線に投入され、およそ半数が戦死している。[4]
天皇は「現人神」「現御神」とされ、その天皇のために命をなげうって戦うのが最高の名誉と信じて地獄の戦場に身を投じてきたのに、いざ敗けてみれば陸海軍すべてを統帥していた大元帥陛下が何ひとつ責任をとることもなく平然としているのだから、怒りに震えるのが当然だろう。
むしろ問題なのは、天皇に対してそうした真っ当な怒りを抱くに至らなかった、その他の(おそらく大多数の)日本人の心理のほうだ。
[1] 渡辺清 『砕かれた神 ― ある復員兵の手記』 岩波現代文庫 2004年 P.2-3
[2] 同 P.57-58
[3] 目取真俊 『「沖縄復帰50周年記念式典」という茶番を前に、今日14日も辺野古新基地建設は強行されている』 海鳴りの島から 2022/5/14
[4] 大城将保 『沖縄戦 ― 民衆の眼でとらえる「戦争」』 高文研 1988年 P.76
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抜粋終わり
気が付いたのだが、どうも「天皇」とは「世襲のヨブ・トリューニヒト」なのである。
そのトリューニヒトの名言を
「民衆というものは、気流に乗る凧です。実力もなく高く舞い上がるだけの存在です」
「専制主義が私に力を与えてくれるなら、今度は専制主義が私の恩人になるでしょうな。私は民主主義を賛美する以上の真摯さをもって専制主義を信奉しますとも」
特に、2つ目のは、天皇そのものですはね。
のが、まさに「天皇」で、ヒトラーもこのような「善意」を盾に肥大したのだし。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す