一即全 全即一
無門関 岩波文庫
離却語言
の注釈 より
僧肇の「宝蔵論」離徴体浄品第二に、
「其れ入るときは離、其れ出るときは徴、・・・・謂つくべし、本浄の体、離徴なりと。入るに拠るが故に離と名づけ、用に約するが故に徴と名づく。混じて一と為す」
とあるを受ける。離は絶対の一のなる本質をいい、徴はそれが無限にはたらく現象の多様面をいう。本来清浄なり真理の在り方は、離と徴が一つであるが、これについて語れば徴に陥り、沈黙すれば離におちってしまう。どうすれば、そういう過ちを犯さなくてすむかという問い。
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