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もしかしたら、イエスよりも面白いので、流行らんのかもしれない。


p.69
” ヒーローは孤独に戦う
 主人公は「善なるもの」であり、さらに「ヒーロー」である必要があります。ここでヒーローの条件が何かと言えば、実は、孤独である、ということです。
 究極の選択を迫られたとき、それは主人公だけが解決できる、というものでなければいけませんし、自分の力でその難問を解決しなければならない主人公の立場は、どうしても孤独にならざるを得ません。『ジョジョ』第五部「黄金の風」のブチャラティたちのチームも、同じ志で行動を共にしているけれども、いわば、はみ出し者同士の集まりです。彼らのつながりは、けっして親分子分の上下関係や仲良しサークル的なものではなく、戦うときはそれぞれが孤独なのです。
 社会のルールから認められていなくてもかまわない、たとえ孤独であっても大切なものを追い求める、これが最も美しい姿ではないでしょうか。究極のスーパーヒーローは、イエス・キリストのような人物です。誰かに崇められはするが、お金をもらったりするわけでもなく、ひっそりと死んでいくかもしれない、それでも自分の中の正しい真実を追う人、それが、ヒーローなのです。”
(911予言、集英社側の左目(聖書維持。しかし金髪アーリアなスピリチュアルは容認)陣営だと推測される〔あくまで推測〕荒木先生が究極のスーパーヒーローは、イエス・キリストと公言。
旧約と宇宙人教=新キリスト教のバビル二世が好きだと公言。神は実在するという思想。
一神教的な神か八百万的な神々かは不明。
有名人の好き嫌いの公表はポジショントークを疑うべき)

ジャンプも、当然ハリウッドも、「イエス最高」って話。

とはいえ、この「イエス」は、カトリック・新教の解釈で


正教会系の「もう死も悪魔も降伏させて、死んでないは、てのがイエス」ではない。

>正教会では「ハリストス、死より復活し、死をもって死を滅ぼし」と復活祭の時に歌います。かリストスの死と復活は、死の本質を変容させました。死はもはや不敗の敵ではなくなりました。死を滅ぼすハリストスの十字架は、悪魔の敗北でもあります。


で、読めない~の続き

なぜジョジョ一部でジョナサンを死なせたのか。
自己犠牲はプラスのハッピーエンドになりうる。
ジョースター家の気高い血統を受け継いでいくためには
ジョナサンは死ななければならない。
ジョナサンの血と魂は二部のジョセフが受け継いでいく。
受け継ぐテーマがあるなら主人公が死んだり、
変わることも許される。
(自己犠牲させたのはキリストがモデルの1つだからだろう)

考えたら、一種の生贄だ。


ヤバいね。


だが、現実に、どうもこういうやつが、存在したらしい。

正義のスーパーヒーローは実在可能か?

 ところでこの本は少し唐突な話題で始めようと思う。読者に質問だ。映画やアニメに描かれる正義のヒーローとはどんな人物だろうか?
 まずいかにも強そうではいけない(1)。日常は気さくな人物であり(2)、周囲の人たちに親しまれていて、決して怖がられたりしておらず、むしろ軽んじられている(3)。しかしいったん事件が発生すると突如その真の能力を発揮して(4)、敵を倒すのである。
 見た目は強そうではないが、よく見ると二枚目(5)でなければならない。イケメン俳優が演じるのだから当然である。もちろん戦うときの様子はとても格好良くて、見ている子どもたちが真似したくなるほどでなければならない。
 年齢も若くなければならない。おっさんや爺さんでは駄目である。ここでは20代ならよいとしよう(6)。
 格好いいのは見た目だけでなく、台詞も決まっていなければならない。後の時代にも生き続ける決め台詞をたくさん残さねばならない(7)。
 敵を倒すのだから、当然強くなければならない。弱きを助け強きをくじき(8)、敵が強ければ強いほど自分も強くなり、到底勝てるのはずのない強敵すら打ち倒してしまう(9)、人間離れした戦闘力を持つ(10)無敵のヒーローである。
 また日頃から戦ってばかりで好戦的ではいけない。喧嘩っ早いのはダメ。むしろ他の人たちが苦戦しているところに現れて味方を救出し、敵を打ち倒すのだ。ここ一番、真の強敵と戦うときは、自らの手で戦い(11)ケリをつけねばならない。美味しいところを見事にかっさらっていくのがヒーローである。
 時には強敵と戦い苦戦するが、そんな時も不敵にジョークの一つ二つ言って切り抜けなければならない(12)。戦いに泣き言は禁物だ。
 だがヒーローは戦わなければならない宿命を背負っていた(13)。なぜなら彼は別世界から派遣された特別な戦士である(14)ためだ。望まぬ戦いの人生を送らねばならないのは逃れ得ぬ運命なのだ。
 しかし強いのは戦うときだけでなければならない。日常、特に女性や子どもたちにはむしろ弱くなければならない(15)。
 ときにその優しさはヒーローを窮地に追い込むこともある(16)。優しさこそが、ヒーローの最大の弱点なのだ。
 ヒーローには当然、誰もが羨むような若くて美人のヒロインがいなければならない(17)。そのヒロインは心優しく芯の強い女性であり、時にヒーローに逆らい振り回したりする(18)。男女関係では多少情けないぐらいのヒーローがよい。ヒロインとは、生涯にわたって相思相愛でなければならない(19)が、ヒーロー自身はあまり女性にモテモテであってはいけない(20)。子どもにも見せたいヒーローモノの主人公は、不自然なことだがもてすぎてはいけないのだ。
 性格は親しみやすいといっても、少しぐらいは心に影がある方がよい(21)。その影を埋めてくれる人こそヒロインだからである。
 社会背景もまた一見平和に見える時代であり、その裏が腐敗しているのがよい(22)。最初から混乱した時代では、意外性がなくつまらないものだ。
 日頃は目立たず平凡に暮らしているのであるから、名前も目立たない平凡な名前である。ヒロインの名前もシンプルなのがよろしい(23)。ただし読者が覚えやすいように性格や容貌をそのまま表現した名前でなければならない(24)。
 そしてヒーローの活躍によりたくさんの人命が救われ、守られなければならない。ここでは少し控えめに、一千万人以上の人命を救えばヒーローと呼んでよいこととしよう(25)。そしてどんな凄いことをしてもヒーローは威張ったり自慢したりしないし、他の人たちも何もなかったかのように親しげに話しかけるのだ(26)。本能的に偉そうな奴が嫌いで、人の上に立つことを好まない平等思想の持ち主(27)こそヒーローに相応しい。
 そして戦いに勝利して世界に平和をもたらし、本人もヒロインと抱き合ってハッピーエンド(28)で終わるのだ。
あとがき、あるいはの前書きの答え合わせ
 
(1)いかにも強そうではいけない
 身長169cm、漢の時代の成人男性の平均値ピッタリという平凡な体格。
(2)日常は気さくな人物であり
 冗談で皇帝になると言ったり、友人と戯れるのが好きな気楽な性格だった。
(3)軽んじられている
 兄の劉縯に劉仲と比較されたりした。
(4)突如その真の能力を発揮
 昆陽の戦いでは、気が小さいと思われていた劉秀の戦闘力に周囲が仰天した。
(5)よく見ると二枚目 
 気勢形体、天然の姿と称えられる。また洛陽に入城したとき古老たちが涙を流したほど。
(6)20代ならよいとしよう。
 挙兵時、28歳だった。
(7)後の時代にも生き続ける決め台詞をたくさん残さねばならない。
 劉秀の発言が故事成語となったものに、楽此不疲、得隴望蜀、有志竟成、疾風勁草、置之度外、差強人意、敝帚自珍、北道主人、厳陣以待、庸中佼佼、鉄中錚錚、旗鼓相當、披荊斬棘、日復一日、舉足輕重、落落難合、反側自安、憂國忘家、危在旦夕、千條萬端、心如金石、束身自脩、水火不避、瘦羊博士、人各有志、曠若發矇、浮語虛辭、力不從心、反風滅火、以時進取、指腹為婚、失之東隅收之桑榆などがある。元気な老人を矍鑠と呼ぶのも劉秀より。
(8)弱きを助け強きをくじく
 若い頃は、裏で隠れて逃亡者たちを助けていた(文叔為白衣時,臧亡匿死)と記録されている。
(9)敵が強ければ強くほど自分も強くなり、到底勝てるのはずのない強敵すら打ち倒してしまう
 劉秀は、小さな敵にも臆病なのに、大敵に会うと勇敢だ(平生見小敵怯,今見大敵勇)と言われる、敵が強ければ強いほど自分も強くなるタイプであり、公称百万人の大軍を三千人とともに突撃して全滅させてしまった。
(10)人間離れした戦闘力を持つ
 その武勇は人間に敵対できるものではない(其勇非人之敵)と称えられた。
 
(11)ここ一番本当の強敵と戦うときは、自らの手で戦い
 劉秀が自ら先頭に立って敵中に斬り込んで戦ったことがはっきり記載されるのは3つ。百万大軍との戦いである昆陽の戦い、部下の将軍を次々と打ち倒した最強将軍鄧奉との戦い、抜群の知将として将軍たちを翻弄した董憲との戦いなど。一世紀の中国における最大の軍団、最強の猛将、最高の知将をそれぞれすべて自らの手で倒したのが劉秀である。
(12)不敵にジョークの一つ二つ言って切り抜けなければならない
 生涯唯一の敗戦のとき、矢玉飛び交う戦場を逃げながら「危うく捕虜になって笑いのネタになるところだった」と笑っていた。また「突騎が味方についた」と公言する相手に、そっくりそのまま「突騎が味方についた」と言い返した。
 
(13)ヒーローは戦わなければならない宿命を背負っていた
 昆陽の戦いの英雄として周囲の人望があり、また劉氏として亡き兄の志を継がなければならなかった。
(14)彼は別世界から派遣された特別な戦士である
 まことに天の人なり(真天人也!)と兵士たちが感嘆した。ここでの"真"とは再確認の意味であるから、兵士たちの間では劉秀が天から派遣された将軍であると信じられており、その噂を聞いた兵士が実際の劉秀を見て本当にそうだと思ったということである。
(15)女性や子どもたちにはむしろ弱くなければならない
 叔母には宴会でネタにされ、姉や妻には振り回されっぱなしである。
(16)ときにその優しさはヒーローを窮地に追い込むこともある
 陰麗華の身の安全を思いなかなか皇帝に即位しなかったこと、皇帝に即位すると奴婢の解放を始めたこと、どちらも天下統一を遅らせる要因となった。順水の敗戦では、味方の退却を助けようと前線に残って戦い続けたため、危うく戦死するところだった。
(17)誰もが羨むような若くて美人のヒロイン
 もちろんかの名高い美女陰麗華である。十歳年下である。
(18)ヒロインは心優しく芯の強い女性であり、時にヒーローに逆らい振り回したりする
 陰麗華は意志が強く、弱い者に優しかったと記される。またすでに述べたとおり、陰麗華のやることなすことすべて劉秀の意志に逆らうことばかりである。
(19)ヒロインと生涯にわたって相思相愛でなければならない
 劉秀、陰麗華カップルは生涯変わらず仲が良かった。
(20)ヒーロー自身はあまり女性にモテモテであってはいけない
 劉秀には、陰麗華、郭聖通、許美人の三人しか女性が出てこない。歴代皇帝の中でも最小クラスである。
(21)性格は親しみやすいといっても、少しぐらいは心に影がある方がよい。
 戦場であまりにたくさんの人を殺したことをずっと心に病んでいた。兄の死についてもいつまでも忘れられなかった。
(22)一見平和に見える時代であり、その裏が腐敗している
 前漢末から王莽の新王朝の時代、人口は中国史上最高の5900万を記録するが、王莽の頻繁な法律変更は行政を大混乱に陥れ、地方官の搾取と専断の時代を生み出していた。
 
(23)目立たない平凡な名前である。ヒロインの名前もシンプルなのがよろしい
 秀というのはどこにでもある名前で、そのため同名の大臣がいた。麗華もどこにでもいる名前。ちなみに著者の知人にも麗華や秀という人がいる。2000年後の外国である日本人にも見つかるほど平凡な名前なのだ。
 
(24)性格や容貌をそのまま表現した名前でなければならない
 秀は見た目が良いという意味であり、麗華も美しいという意味である。顔の美しいことを眉目秀麗というが、秀麗とはまさに二人の名前を合成したものになっている。また面白いことに、現代中国語で秀とは、見世物、ショーの意味である。英語のshowを音訳したのだ。劉秀とは、劉君showなのであり、まさに光武帝建国の物語にふさわしい。
 
(25)一千万人以上の人命を救えば
 劉秀没年時の後漢の統計人口は2500万程度。一千万人以上救ったといえるだろう。
(26)他の人たちも何もなかったかのように親しげに話しかける
 叔母のほか、郷里の役人にはケチ呼ばわりされた。
(27)人の上に立つことを好まない平等思想の持ち主
 西暦35年3月6日に人間の平等を宣言し、奴婢の不平等刑法を廃止した。また人と話すときは相手の前まで降りて話したという。宮殿の門限を破ったとき皇帝たる自分まで平等に扱って追い払った家臣を賞賛した。
 
(28)戦いに勝利して世界に平和をもたらし、本人もヒロインと抱き合ってハッピーエンド
 天下統一し、家族にも恵まれ、息子がそのまま次の時代の皇帝になった。
 
 劉秀は、漢王朝建国二百二十八年目に、二十八歳で挙兵し、二十八人の勇士と後漢を建国した。故にヒーローの条件もまた二十八個である。異論は認めない。
 
注意
 この本はもともとホームページで公開していたものを元にしています。そのため、インターネット上には、私のホームページを引用したり、私のホームページを見て投稿された記事などがあり、この本の内容と重複するものもあります。それらの多くは私のホームページから引用されたものであることをお断りしておきます。

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光武帝・劉秀って、面白いやん。


イエスの理想を、実現してしまった人が、同時代に居て、実現させてしまったら・・・


まあ、はばかるよな。



て、オタクの妄想を書いてみた。











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