通俗道徳に殺されたのが、安倍晋三氏。あるいは自業自得の安倍晋三氏。



より

上記文抜粋
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​独紙「安倍元首相を殺したのは、日本の社会」

独紙が分析

「安倍元首相を殺したのは、日本人の社会への関心の弱さ、弱者への救済の少なさだ」


安倍晋三氏が凶弾に倒れた事件は、日本だけでなく世界を震撼させた。

動機は明らかになりつつあるものの、そもそも恐るべきこの事件が起きた背景にあったのは、

日本社会に蔓延する「無関心」だと、独紙が分析。

独紙「南ドイツ新聞」のトマス・ハン記者は、安倍晋三氏の殺害がなぜ起きてしまったのか、

この死が何を意味するのかを考察。

犯人である山上徹也容疑者(41)は、「母親が統一教会に多額の寄付をし、家族が崩壊していたため、

統一教会のトップを殺したがっていた。だがそれが難しかったため、

宗門とつながっているとされる安倍晋三を狙った」とされる。

しかし、何が彼をそのような行動に掻き立てたのか。

ハン記者は、「彼が殺人犯になったのは、その不安定な人生がどうなるのか、

誰も疑問にせず、気にかけなかったからだ」と分析。

そして今回の事件は、「制度に馴染めず、挫折した独身男性が、その不満をどうしたらいいかわからず、

他人を攻撃する」という近年相次ぐ殺傷事件と類似するとしている。

2016年の相模原障害者施設殺傷事件、2019年の京都アニメーション放火殺人事件、

2021年の京王線殺傷事件などがその例だ。

このような事件を引き起こす根底にあるのは、日本の社会のなかで、孤立してしまう人がおり、

彼らを救済する仕組みがあまりないことだという。

銃乱射事件犯の98%は男性で、事件の大半は「特定の年代」が引き起こしている

社会のサポートシステムが充分ではない「日本では、家族がもっとも重要な支援を提供する。

たとえば社会的困窮者に対しても、まず国はその人を助けられる親族を探し、家族で解決させようとする。

しかし山上の場合は家庭が崩壊していた」。そのため彼を救えるものはなかった。

「我慢するように育てられる日本人は、生計を立てるために多くを我慢して暮らし、不満を言わない。

しかし、ある一線を超えると人々は非常に感情的になる」

とハン記者は見ている。

「その孤独のなかで破壊的な計画を立てる者もいるかもしれない」というが、

孤立し、我慢続きだった山上容疑者は、破壊的衝動を次第に高めていったに違いない。

ハン記者は、日本は多くの美しさを持つ一方、狭苦しくてモノトーンで、

「都市は商業に支配され、無表情だ」と嘆く。

都市は
「同じような家屋に埋め尽くされ、集団社会による全体の構造への同調圧力があり、

問題は自分と家族で解決することが期待される」

無機質な中で、人の助けも充分には得られない都会。そこでは人と同じようにやることが求められ、

一方でシステムから外れて問題を抱えると、自分達で解決しなくてはならずに困窮しがちなのだ。

ここでいう日本のシステムとは、「会社の期待通りに働き続け、何があっても何も言わない」ことだと、

ハン記者は続ける。

日本の仕事は、「旧態依然としたヒエラルキーのなかで、勉強したことにはかかわらず、

会社に自由に配置される従順な社畜」になるか、「安価な派遣契約」で働く労働者になるかが多い。

どちらにしても暮らしにくいオプションだ。

安倍氏はさまざまな戦略を実行したように見せかけていたが、

日本の「人々が暮らしやすくなるような制度改革はなく、人々の不満にも感心を示さなかった」と批判する。

「無関心、お金の追求、それらは多くの国で社会を蝕んでいる。

しかし、日本ではそれらが少し極端に出てしまっているようだ」とハン記者は懸念する。

というのは

「日本人は、実はほとんど集団社会に奉仕する仕事にしか興味がなく、

社会的な議論やマイノリティ、隣人などには関心がない」

ためだ。

英紙「フィナンシャル・タイムズ」も、今の日本では「無関心」が広がっていると指摘する。

そして、日本の政治的な安定、政治家の安全が保たれてきたのはそれゆえだろうと分析する。

現代は「政治が感情を揺さぶるものではなくなっている」ため、当時とは状況が大きく異なる。

現代の日本人は政治や社会に対する関心を失ってしまっているというのだ。

このような痛ましい事件を起こさないように、「孤立した男性に新たな展望を与えるにはどうしたらいいか、

大きな社会的議論が日本には必要だ」。

しかし、そのような議論は起こりそうにもないことに、警鐘が鳴らされている。

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抜粋終わり


この南ドイツ新聞の意見を要約してみると「通俗道徳が、日本人を自壊させ安倍氏はそれを利用して、挙句にそれに殺された」って話。

通俗道徳については・・・

上記文抜粋
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57「生きづらさ」と「通俗道徳のわな」

生きづらい時代だ。何かあれば「自己責任」という言葉が出てくる。簡単に言えば、自業自得。別の面では、「本人の努力不足」。要するに、「お前が悪いんじゃん」と。これはどこから始まったのだろうか。『生きづらい明治社会』の著者・松沢祐作氏は、封建時代の昔から引き継がれているものではなく、「新しい社会」を創りだそうとしていた江戸時代の後半~明治時代の中に、それはつくりだされたのだと解き明かしている。これは、非常におもしろい、というより重要な提起なので、少し長くなりますが、そのまとまったところを引用しておきますので、皆さんもぜひこの本を読んでみてください。「公正、公平、社会正義」を考えるとき、その考え方の背景を深めておく必要があるからです。この国の在り方は、なぜ「公正、公平、社会正義」に反するのか、それがなぜ、道徳を説く人たちによって推し進められているのか、考えておきたいと思います。

ここは、歴史学者・安丸良夫氏(2016年没)の説を紹介しながら、「通俗道徳のわな」を説明しています。

――安丸さんは、勤勉に働くこと、倹約をすること、親孝行をすることといった、ごく普通に人びとが「よいおこない」として考える行為に注目します。これといった深い哲学的根拠に支えられるまでもなく、それらは「良いこと」として考えられています(だからそれは「通俗」道徳と呼ばれます)。

…(中略)…

安丸さんは、こうした通俗道徳の考え方がひろまったのは、江戸時代の後半であると言っています。江戸時代の後半に市場経済がひろがり、人びとの生活が不安定になったときに、自分で自分を律するための基準として、こうした思想が広まったというのです。

通俗道徳をみんなが信じることによって、すべてが当人の努力の問題にされてしまいます。その結果、努力したのに貧困に陥ってしまう人たちに対して、人びとは冷たい視線を向けるようになります。そればかりではありません。道徳的に正しいおこないをしていればかならず成功する、とみんなが信じているならば、反対に、失敗した人は努力しなかった人である、ということになります。経済的な敗者は、道徳的な敗者になってしまい、「ダメ人間」であるという烙印をおされます。自分自身で「ああ自分はやっぱりダメ人間だったんだなあ」と思い込むことにもなります。これは支配者によっては都合のよい思想です。人びとが、自分たちから、自分が直面している困難を他人のせい、支配者のせいにしないで、自分の責任としてかぶってくれる思想だからです。こうした通俗道徳の「わな」に、人びとがはまってしまっていたことを、安丸さんは指摘したのです。――

明治政府はそれを「修身」として学校を通じてさらに普及していったのです。いままた、日本でも政治の在り方に強い批判が広まりつつあるときに、道徳教育の強化が急がれるようになった、再びこの「わな」を再構築しようとするものだと、この本は教えてくれます。

このブログで「道徳と読書」シリーズを始めてから、あらためて痛感していることがあります。

その一つは、徳目の解釈が狭く、小さくなっていることです。つまりは「通俗道徳」の範囲にとどまるように意図されていることです。「B11相互理解」などでそのことを指摘しました。

第二は、現実については、視野を狭く「身近な問題」にとどめるようにしていることです。世界には様々な問題があり、日本も同じです。今この瞬間にも、苦しんでいる人、悲しんでいる人がいます。どの徳目でも、目をそらす意図的な行為をしなければ、涙を流している同世代の現実に向き合うでしょう。そうならないように、努力しているとしかいいようがありません。繰り返しますが、「公正、公平、社会正義」に反する現実に、自分自身も向き合っているはずです。

「道徳と読書」の後半に入るにあたり、少し理屈を述べました。私は、「明治」について、大好きな司馬遼太郎史観に深く侵されていました。ここで(笑)とは書けません。明治からの歴史、歴史観の再評価が様々な人によって出版されるようになって、私も、ここはしっかり学び直さなくてはいけないと反省しているところです。

『生きづらい明治社会  不安と競争の時代』松沢祐作・岩波ジュニア新書2018.9
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抜粋終わり

>第二は、現実については、視野を狭く「身近な問題」にとどめるようにしていることです。

なので、社会政策とか理解できないアホばかり育つのですは。


上記文抜粋
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通俗道徳のわな


本書では、

”明治“は「不安と競争の時代」だったという。

従来の社会秩序、価値観、経済が急激に変わり、

混乱と先行きの見えない不安が渦巻いた。

そんな中で人々の心の拠り所となったのが、

通俗道徳といわれる考えだった。

(通俗道徳の例)
・勤勉に働けば豊かになる
・倹約して貯蓄しておけば、いざという時困らない
・親孝行すれば家族円満である

「努力すれば必ず成功する」
「成功するには努力せねばならない」

人々は自らを律することで不安に抗おうとした。

通俗道徳が生まれた背景は、江戸後半以降に

市場経済の 進展で人々の生活が不安定になった

ことにあった。

しかし「努力すれば必ず成功する」

という保証はどこにもない。

むしろ成功より失敗する方が多い。

通俗道徳の思想からすると

「成功したのは正しく努力した人、

失敗(困難)は努力しなかったダメな人」

とすべて自分の責任となる。

これが「通俗道徳のわな」。


人々は「どんな手段を使っても、他人を蹴落として

でも成功せねばならない」となっていった。


「立身出世」と「都市下民層」・・・

明治は、過酷な競争社会であった。

貧困問題、医療費の増加を

すべて自己責任に押し付ける閣僚・・・

おいおい、「通俗道徳のわな」の呪縛は、

現代でも解けていないぞ。

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抜粋終わり

で、通俗道徳に則って、安倍氏を暗殺しようとしたのが山上氏だったのだよね。

で、通俗道徳通りに殺されたのが、安倍晋三だったのだ。

まあ、国家ガチャだは、未だ天皇を廃止できない似非ニホンザル国家ですから。


天皇を殺して 日本を守れ

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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