スピ系の日本の先祖。
今時、社寺で塩や酒撒いたり変なことをすると「スピ系」などと言われるが、昭和の昔にはもっとヤバい集団がいたんだよ。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
拝み屋集団
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
それも「学問のない拝み屋」
系統だった修行も学問もしていない。ひたすら気合と腕力で乗り切る。すべて「千本ノックと素振り」みたいな人たち。何が起きても般若心経(あるいは題目)で乗り切る。ひたすら般若人形(あるいは題目)。わずかに真言。そう慈救咒くらい。
まぁ、この人たちは集団行動で、大声で拝む。無茶苦茶拝む。数をこなす。一晩中般若心経やりかねない。神仏にも般若心経、亡者にも般若心経、祟り障りも般若心経(あるいは題目)。集団で拝む。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
なにせ、社寺に所属していない、集団でも講社じゃないから、行動様式が違う。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
お供えはするんですよ。酒、塩、昆布にスルメ、卵。あんた何を拝んでんねんwという。
社寺に所属していないから、当然、社寺と仲良くやってない。勝手に来て、勝手に拝む。怖いよ。
で、社寺と仲良くないから、社寺、つまり、僧侶や神職を「信用していない」
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
わかります?
「坊主は丸儲けダ~、葬式仏教ガ~」みたいな連中と変わらないくらい「学問がない」、なのに「自信はある」わけですよ
この人たち「お供えを残すと坊主(神職)が飲むんじゃ」などと言って撒くんですよ
信念に基づいて撒く。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
迷惑な……。
よく考えてください。社寺に所属していず、体系的な学問も修行もないから、自分の感覚で何でもやっちゃうんです。
気合たっぷりですからね、やってたんですよ、彼らは。
で、力はあるのかないのかと言うと、これがないわきゃないんですよ。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
私生活を削って拝んでますからね。
目を三角にして、それこそマッチ棒並べて数を打ちながら般若心経やりますからね。
非常に面倒で迂遠なことを喜んでやってるんですよ。
感覚研ぎ澄まされるでしょうね。
ただし、その行為を神仏が受納してくれるかどうかはわからないです。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
わかんないですよね。
ルール無用の熱血漢が何かわめいてるんですもん。
ただまぁ、その出力を出すために彼らがやっているのは異常な努力です(無駄な労力と言う勿かれ)
体系的な修行と学問すりゃあやりたくないですよ。
自分の気に食わないことをざっくり「スピ系」と言って斬って捨てるのは私は好きじゃありませんが、まぁ、こういう昔の拝み屋さんも「ご苦労さんだんな……」と思いこそすれ近づきたくありません。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
ことほど左様に力技な方々がいたもんですが、最近は見かけなくなりましたね。
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
白装束の方々は今でもお見かけしますが。
私?
私は、必要最小限の行動で最大限の結果、ですよw
私は山伏の「切り落とし」みたいなもんですがw
— 福廣坊 (@anchorworks1971) January 11, 2022
かと言って既存の講社の雰囲気はなじめないしw
そもそも当講社は出力が大きすぎるのでwww
出力がどれくらいかは……ねぇ、知ってる人だけわかっていりゃあいいのです
当講社、「乙女」しかいないのでwww
>よく考えてください。社寺に所属していず、体系的な学問も修行もないから、自分の感覚で何でもやっちゃうんです。
気合たっぷりですからね、やってたんですよ、彼らは。
スピリチュアル的なモノは、昔から日本にも居たわけで。
体形的な学問ってが無いと
>必要最小限の行動で最大限の結果
てならんが、力技で・・・・
ただ、そういうのを旨い事取り込んだのが、外資・耶蘇の工作員だったてわけか{スピリチュアル・神智学人智学の系}
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?