現世利益の考え方。


上記文抜粋
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 Ganesa大瑜伽師が下記記事にて仰るように、すべての現世利益は霊性を高めるための方便であり、その前に現実の苦難を救済してあげようという御神霊の大愛によるもの。神様方は霊性の向上をしなさいと様々な機会に促されるのですが……、それを感じ取って御神意に沿って行動するのは、愚僧を含め中々難しい(;^_^A


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抜粋おわり 


霊性っていうと、かの神智学とかスピ~新キリスト教とか怪しくなるので、「徳性」というか、そういうのを高める機縁と思う。

仏神の慈悲であり、管仲・孟子のいう「衣食足りて礼節を知る」って奴で、そういう意味で大事なのですよね。









最近ようやく

神仏や先祖を供養したり礼拝したりも
リターンを求める思いがあると与えた分くらいしか返ってこない場合が多く、だから願掛けでは数多い御経や真言、大量の供物が必要になりがち
見返りを求めないと逆に利子つけて大きな御利益で返ってくる感じ

結局、簡単に言えば
『損して得取れ』
なわけで
これは元々は
『損して“徳″取れ』
だったとか
まさにコレ
与えたりは一見すると損
ましてや見返り無しなんて間違いなく損
だけど見返り期待せず相手のために行動したり与えたりする=徳のある行動すると最終的に世界からなんらかの形で見返りが来る

これって、あまりに「願望成就」とか、「開運」ができない場合は、これが良いと思えるようになった。


考えりゃ、「現状」ってのは良くも悪くも、帝網重々の世界なので、「要るからそうなっている」のである。良くも悪くも。

ならそれを
「自分の願望・開運が通った方が、宇宙・世界的には都合がいいようになれば、必然的に自分の願望・開運が可能になる」
ということにある。


すなわち「自分の願望成就・開運を、世界・宇宙が希望する状況」にしてしまえばいい。

で「損して得取れ」で、それを遣る・・・て感じ。

自分から動かすのでなく、世界・他者に「あんたがそうなって欲しい」と誘導してしまう。
て見方。

他人とともに楽しむのはその楽しみも長いが、自分一人で楽しむのは長く続かずなくなるものだ 

ていうけど、「他人が、「貴方自身楽しんでほしい」。そうしたら私らも楽しい」っていう状況に祈願する・・て。

かなり有効かもしれず
「だけど見返り期待せず相手のために行動したり与えたりする=徳のある行動すると最終的に世界からなんらかの形で見返りが来る」ていう風になる。


迂直の計ともいえるし、「外堀を埋めて、容易に攻略しやすくなる」て考え方。


よくよく考えると、かなり合理的な考え方だ。

我欲でなく、みんなの「望み」で、願望成就・開運てなり、まさに「勢いをもってなす」ってことで。

諸葛亮兵書に

{審因}
 時の勢いに乗じて悪を討てば、聖天子の黄帝も及ばぬほどの威力を発揮することができる。
味方の力を結集して勝ちを得れば、名君といわれた殷の湯王や周の武王も及ばぬほどの功を立てることができる。
おのれの力の由って来る源泉を把握し、それを十二分に発揮して相手に臨むのなら、万人に将たる雄将でも、天下の豪傑でも、屈服させることができる。

そのようなことを思い出した。


孫子・諸葛亮兵書を、15歳のころから30年以上読んできたが、ようやくそのことが、考え方の一部になって用いれるようになったと思う。
が、まだこういう仏神に頼るような状態は、まだまだ修行不足だが、それでも、まだ「おのれの力の由って来る源泉を把握し」てことで、以前ほどはヘボでもないってことだ。



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