江戸っ子なら「こんなハシタ金で働けるか!」って辞めている。それが消えた「天皇家の家畜の日本人」
より
上記文抜粋
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自分の首を締めている民族
日本はどこで間違ったのか?
アネハ偽造の構造はいつまでもとまらない。
正直モノが馬鹿を見る世になりました。
皆チェーン店がすきなのか
はたまた
お金が好きなのか
はたまた
お金がないのか
はたまた
ケチなのか?
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抜粋終わり
最低でも「明治維新」から過ちが始まった。
もっというと、江戸開府の時に「天皇を伊勢の神官にして押し込める」ことができなかったことか。
あるいは「天皇が発生した」ことが過ちのはじめだった。
「天皇」がすべての過ちの根源である。
週刊ダイヤモンド
より
上記文抜粋
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大江千里氏が「ラーメン1杯2200円」の米国から語る、安い日本の深刻問題
日本の驚異的な「安さ」は
働く人の我慢と犠牲が支えている
日本と米国を行ったり来たりしていると、日本の物価の安さは「お手頃でうれしい」を通り過ぎて心配になるほどです。コンビニエンスストアでどっさり買い物をしても1000円にならないし、家賃も安い。
日本には500円で買える「ワンコインランチ」という言葉がありますが、ニューヨークだと5ドルじゃサンドイッチ一つだって買えません。大人気のラーメンだったら1杯20ドル(約2200円)以上。替え玉やトッピングをして、ビールも飲むと50ドル(約5500円)です。
だいたい、ワンコインランチって常軌を逸していると思います。500円のお弁当の背後には、おかずをせっせと詰めている人がいるわけです。その人たちはちゃんとした時給をもらえているんだろうか。心配になります。日本の物価の安さの裏側にあるのは、やっぱり賃金の問題じゃないでしょうか。
日本で働く人は、企業に利用されちゃっている面がありませんか。本当ならもっとお給料をもらうべき仕事でも、文句を言わず我慢して、手も抜かずに働くでしょう?そこにある種の美しさはあるのですが、結果として経営者に安く使われている労働者が多いのでは。安い日本というのは、こういう我慢している人たちの犠牲の上に成り立っているのだと思います。
これが米国だったら、給料が仕事に見合わないとなると、働く人はすぐ手を抜きます。口に出して「自分は犠牲になっている」って言います。そしてそんな仕事なんかさっさと辞めて、もっといいチャンスを見つけに行きます。
低い給料こそが日本社会に
閉塞感をもたらす原因だ
日本には「お金のことを言うのは下品だ」という考え方が何となくあります。でも働いて生きていく限りは、仕事に見合った給料や報酬が絶対に必要です。それなのに頑張る力も出なくなるような低い給料だと、「自分ばかり負担を負わされている」という感覚に陥ってしまう。
そしてどんどん内向きで保守的になり、他人に対しても先入観に満ちた、シニカルな判断をするようになる。何だか閉鎖的で、出るくいを打つ的な感じです。これが日本社会全体の閉塞感につながっているように思います。
僕自身、そんな日本の空気を米国にいながら感じています。ポップミュージシャンをやめてニューヨークでジャズをやっていることに対して、日本からは冷笑的だったり上から目線でちゃかす感じだったりという反応をもらうことがあるのです。
確かにアジア人が米国に来てジャズで食べていくのは、決して楽じゃない。でも、米国人というのは個性を重んじ、世界に一つしかないものに高い評価を与えてくれる人たちです。そういう文化であり、価値観の国です。
僕は米国でこれまでに数回、とても大きな企業の経営者から、こんなふうに声をかけてもらったことがあります。「ジャズミュージシャンには、その才能に投資してくれる人が必要なんだよ。君にはそういう人がいるかい?いないのなら、僕の名刺をあげる。僕に何かできることがあったら、メールを送ってね」。音楽ジャンルの違いはありますが、少なくとも日本でポップミュージックをやっていたときには、こんなふうに声をかけられた経験はありません。
米国でももちろん、「もうかるかどうか」はとても大事です。ただ、もうかるという概念が指すものが、日本と少し違うように思います。経営者がお金を使って手に入れられるものは、お金だけじゃない。尊敬できる人物として世に名前を残すことだったり、自分の会社に何らかの「意味」をもたらすことだったりです。
お金が紙幣などの形で循環しているのは日本と同じですが、そのお金にくっついて別の何かを与えられたり、与えたりする感覚が、米国にいるとあるのです。
安い日本で我慢するだけじゃ
何も良くなりはしない
安くなっていく日本でただひたすら縮こまって、我慢していればいつか良くなる――。そんな期待はきっと幻想です。それよりもコロナ禍が一段落したら、とにかく1年でも2年でも日本を出てみてはどうでしょうか?米国じゃなくても、オーストラリアでも欧州でも中国でもいい。そうすれば日本の安さや弱さが分かるし、同時にいいところも見えてきます。
日本人は我慢強いけれどもプライドが高いので、外国語のちょっとした間違いなんかを気にします。日本人同士で細かな文法の間違いを指摘して揚げ足を取り合ってみたりね。でもちょっとした文法の間違いなんて、米国人に言わせれば「Give me a break!(勘弁してよ、大目に見てよ)」です。
書を捨てよ町へ出よう、ついでに我慢もつまらないプライドも捨てて、世界に出てみようよ。なんたって、60歳になる僕が「大江千里の代表作はこれから生まれるんだぞ」って思って奮闘しているのです。7月に出したアルバム『Letter to N.Y.』ではコロナ禍のさなか、全ての音を自宅で自分で弾いて、コンピューターを使って仕上げました。名付けてパンデミックジャズです。僕もあなたも、自分が思っている以上にタフでサバイブしていけるのだと思います。
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抜粋終わり
江戸の庶民なら「こんな端金で働けるか!」で辞めて、なんら訴訟しているよな。
そもそもだ。
天皇制とは「政治に・統治に・国家は一切責任を取りません」って制度なのである。
天皇とその犬が日本人を喰い殺すためのもの。
より
上記文抜粋
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憲法はずっと無責任体制。神前結婚式も仏前結婚式も明治以降の和風キリスト教製品。
「八紘一宇」を最初に標榜した国柱会(=日蓮系仏教に偽装した和風キリスト教)のお陰で有名なエスペランティスト宮沢賢治。
大教宣布の詔により、大教=和風キリスト教=天皇一神教。本教=和風キリスト教。
(大+本)教=大本教。あと少し憲法の勉強。
・・・・・・・中略・・・・・・・
1870年の日本版キリスト教=神道国教化の為に発令した、「大教宣布の詔」でわかるように、
「大教=天皇一神教=和風キリスト教=本教」
つまり、カルトメーカーの大本教はなんと、大教+本教という二重の意味でキリスト教でありフリーメイソン教でもあります。宗教統一用に変形されたキリスト教。
ユダヤ「だけが悪いからキリスト教は悪くない」陰謀論というバチカンの伝統をきっちりを受け継いでおり、経典も聖書を和風にしたもの。一神教思想臭い神が登場。多神教に偽装した鬼崇拝。
・・・・・・・中略・・・・・・
・日本国憲法でも相変わらず天皇無答責。
主権者の国民の意思決定(選挙)も無答責。
→明治憲法を超える超無責任体制が日本国憲法。
日本国憲法は支配者がいないふり+民主主義を標榜
しているが、実際は世襲制。
→秘密選挙を廃止
(自分がどこに投票したか公開して票の操作をなくす)
しないと無責任体制は解決されない。
大日本帝国憲法
君主(=天皇=和風キリスト)権限を強化
→現人神(イエス様)の責任が増す
→神聖不可侵として君主無答責
→和風ローマ教皇が虐殺に加担しまくろうと責任なし!
→一応責任者が明確な(責任は取らないが)世襲制。
↓
日本国憲法
国民を主権者
→意志決定(投票)無答責
→投票結果に責任なし!
+天皇無答責(内閣が尻拭い)
+内閣は国会に政治的責任を負うが
法的責任ではない(最終的には国民の選択と言い逃れ)
→国民総無責任体制
=民主主義に偽装した世襲制(トップが不明確になりより悪質に)
裁判基準(試験問題攻略法)
①今もやっていることが違憲なわけがない(迷ったら合憲)。
②見たことも聞いたこともない判例がきたらほぼ×がお約束
③例外を認めない絶対的に保障あるいは禁止される場合はほとんどない
(「原則~」は範囲を広く緩くする魔法の言葉)
④結論ありきの超甘い判決になる分野
・税(税務署。税金がらみは税金を取れるように判決)
・宗教(宗教団体。特にカルト)
・警察や検察
・アメリカ(特に軍事がらみ)
・西洋医学(医師会、製薬会社、薬局など。異教の医学は冷遇)
・・・・・・・中略・・・・・・
あとはすべて強化用か煙幕。
一条と七条で天皇の責任→内閣→法的責任でないので結局うやむや、とし天皇も政治家も責任を大衆に転嫁。
日本国憲法は「国民主権」を採用しています。ここでいう「主権」とは国政のあり方を最終的に決定することを意味します。日本国憲法の十五条では、なんと主権者である国民は自身の意思決定=選挙に責任を負わなくていい。政治の意思決定者(嘘)が何をしても意思決定者(見せかけ)に責任はない、という、異常極まりないことになっていることを見抜かせないために、九条に注目させる。実際の支配権は選民にあります。
日本国憲法では「支配者」の存在をなかったことにしています。国民は自分の意思決定に責任を取らなくてよくて、国民の象徴の天皇も無責任であり、天皇の尻拭いをする内閣が国会に負う責任も政治的責任であり法的責任ではなく、結局は責任を「選んだ国民(無責任)」に転嫁するという、責任者が誰もおらず、何よりもボスが責任を取らないようになっております。
秘密選挙だと自分の票が改竄されても判りませんし、自分の投票先を公表するリスクを負わずに異常過ぎる世界を変えようなんて甘すぎます。
世の中良くしたいけど責任は他人に押し付けるってお前は支配者と同じ思想だな。
・・・・・・・中略・・・・・・
責任転嫁システムをもう少し詳しくみてみます。
衆議院の解散権は内閣が持つとされ、
7条3号説(通説・先例)という、国事行為に対する内閣の「助言と承認」を根拠として内閣に実質的な権限があるとしています。
責任を取らない天皇の泥を内閣が被るかと思いきや、
内閣は国会に政治的責任を負いますが法的責任ではなく、
内閣もまた「我々を選んだのは国民(票を操作したのは内緒)」と言って責任を国民に押し付けられるようになっております。国会に政治的責任を負っても、票の操作で復活が可能なのです。
秘書がやったことならぬ国民がやったことですね。
なお、戦後でも天皇には民事裁判権が及ばないことになっております。
刑事裁判権も及びませんから今も天皇無答責。
天皇家と血縁関係を持つ貴族あたりが首相を出すのだから、実質的に首相無答責。
どんな手段を使っても最低でも実質的には無責任体制を継続され続けるはずです。
衆議院の内閣不信任決議は法的責任の色彩が強いのですが、そもそもほぼ起こらない構造になっています。団体Xがその団体のボスを不信任決議するなんてほぼないですから。
アメリカの共和党日本支部にしてCIA出資で統一教会系の自民党の党首(飾り)が首相となるということは、衆議院の多数派が自民党。
EU日本支部のフランス・スコットランド系メーソン民主党が~以下同様。
こいつら民主主義とか国民のためとか言っていますが、
身内の利権のためという意味です。
天皇をタブーにすると、姻戚関係を結んだ政治家たちも無責任の恩恵を受けるからこそ、天皇教を守るわけです。
以下の記事で日本の貴族(クズ)の半島利権+クリスチャン率の高さを確認して現実みなよ。偽貴族=名誉白人が言う「日本の伝統」=明治以降のキリスト教製の捏造文化であって、本当の伝統=仏教などではありません。
「武士道」を言い出した新渡戸稲造がクリスチャンでしかも武士道を英語で書いたって笑えるわ。
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抜粋終わり
>内閣もまた「我々を選んだのは国民(票を操作したのは内緒)」と言って責任を国民に押し付けられるようになっております。国会に政治的責任を負っても、票の操作で復活が可能なのです。
秘書がやったことならぬ国民がやったことですね。
でその責任を国民が果たす方法がある。
それはアメリカ等では「悪政をする政府を打倒する義務がある」そう「革命」をすれば、無問題。
ようするに「民主主義」てのは、暴力革命があってこそ機能する。
あるいは「天皇」てのは、暴力革命なり禅譲革命で玉座を追われる・殺されるから、その地位が、保証される。
それが無い・・てのは、そもそも「統治が無い」って言いえるか。
まあちょうど「日本列島は、英国の植民地で天皇は英国元帥=英国の臣下」てのと符合する。
英国元帥 天皇
参考
参考2
参考3
天皇家を殺しきって 日本人を救え
天皇の無い 青い空を取り戻す