「中途半端」

暫く更新していないことに後ろめたさを感じて、noteのアプリを開く頻度が減り、次第に疎遠になっていった。「社会人になってからも会おうぜ!」と約束していた友人と仕事を理由に会う頻度が減り、喧嘩をしたわけでもないのに、なんとなく気まずく感じる”それ”に似ている。
そんなnoteに、1ヶ月ぶりに向き合って記事を書いている。これはある種の贖罪である。蔑ろにしてごめんね、もう離さないからねと、愛でるようにキーボードを叩いている。自分がつけた傷を撫でる様子は、まるでDV夫である。現実は違うので悪しからず。

さて、この男はなぜ、放置していたnoteを開いてつらつらと綴っているのか。理由は一つ。「noteを封印してリソースを割いていたチャレンジが、上手くいかなかったから」である。
YouTubeのチーム運営を頑張っていたのだが、軌道に乗らない段階で降りることにしてしまった。デジャブっちゃデジャブだ。誰が悪いということは全くなく、むしろメンバーは私のやりやすさを優先してくれていた節があったが、求めていた結果は得られなかった(もちろん得たものも多いのだが)。

転職を考えていた本業はというと、上司のフォローのもとでまずまず立て直せてきた状況である。業務量が増えたが、成果物の質は及第点は超えているし、年間評価も上手く巻き返した。「辛いから転職したい」という思考だったのが、「幸せな人生にするために転職含めてキャリアを考えたい」という思考に移ってきているので、個人的にはポジティブな変化である。

ごちゃごちゃと述べてしまったが、つまり何が言いたいかというと、
私は今、とっっっっっても中途半端な状態なのである。

夢も現実も中途半端。地に足着いて歩けてもいなければ、空を飛ぶための適切な努力もできていない。何になりたいのかも、何をしたいのかも正直わからない。いや、正確には、変わりたい願望はあるけれど、”どう変わりたいのか”がさっぱりわからない。色々とチャレンジをしてしまって、どれも中途半端になっている。スキマスイッチばりに積み上げたものをぶっ壊している。

とは言いつつも、私は別に、自分を卑下しているわけではない。むしろ、しっかり地に足ついている方々や、空を飛ぶために飛行機を一から作っている人たちがすごいだけなのである。今までの人生は、表面だけ上手く取り繕ってやり過ごしてきたが、今年は壁という壁にぶつかる年だった。きつい思いをするたびに、前を向いて生きている一人ひとりを本当にすごいと実感したのだ。

さて。これからの人生、私は地に足着けて歩くのか、空を飛ぼうとするのか、はたまた誰も行かぬ海の先を臨むのか。何も決まってないし、多分永遠の課題になるのであるが、見守っていてもらえると嬉しい。ので、たまにはnoteを開いて、きちんと愛でてあげようと思う。以上。

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