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コムギのいた生活3 -好きなモノと嫌いなモノ-

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我が家は築50年の古い一軒家のため外気がその隙間をついては進入してくる。
冬は暖房をつけても耐えきれない寒さになるためコタツを出す。
コムギはコタツが大好きだった。
少しの間離れていたリビングに戻ると先程までいたコムギの姿がなくなり、コタツ布団の一部が盛り上がって洞穴のような侵入路だけが残されていることがよくあった。
そのため冬はコムギの姿を見かける機会がめっきり少なくなってしまうのだが、コタツの中で伸ばした足先に顎をのせるその温もりと質量を感じ取る季節になる。
コムギはコタツの中だけではなくその上、干してポカポカになったコタツ布団の上も好きだった。
コタツ台の上に干したての布団を乗せると、その上にテーブルを乗せる前に飛び乗ってくる。
コタツは日が差し込む位置に置いてあるため、ポカポカのコタツ布団に寝転びながら日光浴を楽しんでるコムギをどかすのが可哀想、というよりもそんなコムギの姿が可愛くてしょうがなくて日が暮れるまでテーブルを乗せることができないことがよくあった。
コタツに篭りがちな冬だけれども、この時期にしか見ることのできない可愛い光景がある。
キッチンで洗い物などをしている時に、ふとリビングを振り返るとコタツ布団からひょっこり顔だけ出してこちらを眺めているコムギの姿だ。
洗い物の手も止まってしまって、その可愛い姿をまたコタツの奥深くに潜ってしまうまで見つめてしまう。

挿絵3-1



僕たちがリビングにいる間はコムギも自分のソファーや僕たちのソファー、冬ならコタツの中でくつろいだり眠ったりしているのだが、僕たちが寝るためにリビングを暗くして2階の寝室に上がるとコムギも2階に上がってくる。
ただ、すぐ後を追うように上がってくるのではなく、リビングの電気を消す時にコムギに「もう寝るよ」と声を掛けても反応しないでいるくせに、僕たちが2階で話をしていたり、寝室の電気を消したりすると決まって上がってくる。
小気味よいリズムを刻みながらトントンと階段を昇り廊下を小走りで渡って部屋に入り込んでくると、ベッドの横に用意してあるコムギ用のベッドか、冬は僕のベッドに入り込んで来て眠る。
たまに僕たちが上がる前に自ら2階に行ってしまうことがあった。大概僕たちがテレビを見たりゲームをしてたりとうるさくしている時でコムギはやれやれと言った表情でリビングからも見える階段を昇っていき、ちょうど見切れてしまうタイミングで振り返り僕たちを見つめてくる。
「いいの?アタシ行っちゃうよ、一緒に2階来ればいいじゃん」とでも言ってるようだった。コムギが一人で寝室に入ってしばらくした後にこっそり様子を見にいくと、自分のベッドですやすや寝ていて、その様を眺める時間は幸福な時間だった。

挿絵3-2



歳を重ねると乱暴な面が姿をひそめていく代わりに神経質で寂しがりやな一面が顔を覗かせ始めた。
コムギはひとりぼっちになることを嫌がり僕たちの外出を警戒するようになった。
昔はそうではなかった。
今とは違い平日は毎日出勤にしていて、朝9時過ぎから夜7時くらいまでコムギには留守番させていた。
コムギもそのサイクルに慣れていて特に寂しがるような素振りを見せたことはなかったのだが、在宅での仕事が少しづつ増え始めて僕たちが家にいる時間が長くなるにつれて様子が変わっていった。
一緒にいる時間が増え僕たちへの依存度が増したと同時に、留守番の不規則性がコムギに不安を与えてしまったのかもしれない。
僕たちの出かける準備に敏感になっていった。
髭剃り用のシェービングジェルやワックスの香りに敏感に反応し、出勤日以外は着ないシャツを着たりすると警戒して監視を始める。
我が家はリビングのすぐ隣が玄関となっていて、コムギはリビングの出入り口に身を潜めて外出するために玄関に向かう僕たちを待ち構え、僕達が通り掛かると飛び出して来て激しく吠えるようになった。
僕たちはコムギのこの待ち伏せ行為をスタンバイと呼んだ。
甲高く泣き叫ぶように吠えるその声を聞いてしまうと可哀想で仕方ないのだが、心の中でごめんねと謝り後ろ髪を引かれる思いで毎回出かけていた。
僕たちはコロナ禍による自粛が始まる前から在宅での仕事が増えていてコムギが留守番をする日は週に1、2日程になっていたのだが、その頃になると僕たちのどちらか家にいるのにも関わらずスタンバイするようになりその頻度も増えていった。
「今、スタンバイしてるよ!」とか「スタンバイしそう」と声を掛け合うことが日常の光景となった。

コムギは苦手なものも多かった。
ボールが跳ねる音や子供たちの走る音が少しでもが聞こえると、自分を狙ってると思い込んでその場から全力で逃げようとした。
強風、雷、虫の飛ぶ音、冷蔵庫のアラート、シャンパン(蓋を開ける音に始まり最終的には瓶そのもの)など他にも嫌いなものを上げたらキリがないくらい。
ひょっとしたら、こういった神経質な性質が悪性腫瘍になってしまった一因なのではと思ってしまうことがある。
ただ、そんな一面もコムギの特性として僕たちは愛さずにはいられなかった。
本人は必死だったんだろうけれどもスタンバイする姿も可愛くて僕たちの大切な思い出のひとつだ。

挿絵3-3


苦手のものが多かったがコムギではあるが一度好きになると一途に好きであり続けた。
とりわけ隣に住むオーナーさんのことが大好きだった。
貸している家で犬が生活することを快く思わないことがあっても当然だと思うのにオーナーさんはコムギをとても可愛がってくれた。
そしてそんなオーナーさんの愛情を上回って余りあるくらいコムギはオーナーさんが大好きで、オーナーさんが外出から帰ってきたり外に出てタバコを吸ったりしているのを察知するとクンクンと鳴きだし、尻尾を振りながら窓の隙間から必死に見つめようとする。
コムギと一緒にオーナーさんと立ち話をしてオーナーさんが家に家に入っていった後も、また出てくるかもと出待ちをしたり、オーナーさんが車で出かけようとすると一緒に乗り込もうとしたり、散歩中に道の向こうにいるオーナーさんを見つけたりすると文字通り黄色い悲鳴をあげた。
他にも近所に住んでいてよくコムギに声を掛けてくれて可愛がってくれる僕たちが「おかあさん」と呼んでいた老齢の女性のことも大好きだった。
まだ小さい頃、散歩中に交差点で言うことを聞かないコムギを見かけて足を止め優しくなだめてくれたことがきっかけだった。
その姿勢が良い後ろ姿は遠くからでも認識できて、見つけるとコムギはオーナーさんの時と同じように黄色い悲鳴をあげる。
その声を聞くと遠くにいても、わざわざコムギの傍まで来てくれて可愛がってくれた。
手を振りながら離れていくおかあさんの姿が見えなくなるまで、いつもじっと動かずに見つめていた。
僕たちの両親のこともコムギは好きだった。
来訪の度に玄関で嬉し泣きのような悲鳴をあげて大歓迎をし、少しでも席を外して戻ってくると何年もあってないかのように再会を喜ぶ。
僕の母親は犬や猫など動物があまり好きではなくて愛情を注いでいる姿など見たことが無かったのだが、息子が可愛がっているという理由はあるにしろ、コムギのことはとても可愛がってくれた。
ふと部屋を覗いた時にコムギと楽しそうにボール遊びをしてる姿を見たりすると、何か信じられない気持ちにもなりながらも微笑ましく思った。

そしてコムギが愛してやまないものの一つに羊の人形があった。
コムギがまだ小さかった頃に一緒に立ち寄ったペットグッズ店でそのちょっと間抜けた可愛さが目が止まり購入したものだった。
ちょうど咥えることができるくらいの大きさで噛むと音がなり、コムギは大いに気に入って振り回したり、僕たちの近くに置いて投げることを要求しては投げられた人形をキャッチして遊んだ。
擦り切れるまで遊ぶので何度も彼女が修復していくうちに耳は取れて顔もその形状を全く留めていなかったが、飽きることなくいつも自分の傍に置いていた。
たまに洗濯をして2階のベランダで干していたりすると、それを見つけては窓の前で「取って!」と吠える。
2階に羊人形を置き忘れたことに気づくと、一人で2階に上がっていき咥えて帰ってくることもあった。
人形を咥えながら階段を降りてくる姿はとても可愛らしくて、2人で「降りてきた!」と声をかけ合って、その姿を見逃さないようにしていた。
その後に羊人形は新しいものを買い、さらにミニサイズのものも買ったのだがコムギは一番付き合いの古い羊人形1号が一番のお気に入りであり続け、2階から咥えて持ってくる順番も羊人形1号が最初で続いて2号、そしてミニサイズの3号と決まっていた。

挿絵3-4


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