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F91はおもしれい

2020/05/24現在、ガンダムチャンネル登録者数50万人突破記念ということで、「機動戦士ガンダムF91」が無料公開されています。(1日限定!)

僕はガンダム作品について、ある程度目を通している方だとは思うのですが、この作品については今まで「真ん中くらいの好き度」の作品でした。

しかし、ここ数ヶ月で「ガンダム Gのレコンギスタ」「伝説巨神イデオン」「ブレンパワード」を視聴したあとで、改めて作品の良さに気づくことができたので、備忘録としてまとめさせて頂けたらと思います。

F91の魅力

視聴を終えて感じた僕が感じた「F91」の魅力は、「脚本・描写のディテールが非常に細かい」にあります。

僕の個人的な見解にはなりますが(重要)、いわゆる「宇宙世紀ガンダム」の産みの親である富野由悠季監督が関わる作品は、「世界観・その世界での生活様式・常識・政治」といった要素が強く描かれている傾向にあると思います。

ガンダムを論ずる際、「敵味方や善悪をわけず、戦争に身を投じる人間たちのリアルな描写を描いた~」といった評価点が挙げられるかと思いますが、そういったリアリティを肉付けしているのが、上記で挙げた「世界観・その世界での生活様式・常識・政治」にあると思っています。

そんな富野監督作品の中でも、特に「F91」においては、必要かどうか微妙なレベルの描写でも、非常に細かく描ききっているように感じました。

パン泥棒

例えば、F91を語る上で外すことができない、序盤の学園祭から市街戦、避難までの一連のシーン。
突然日常に入り込んでくる戦争」の恐ろしさを描いた、ガンダムシリーズの中でも屈指の戦争描写だと思います。

市街戦のシーンでは、戦争に巻き込まれて命を落とす市民の「死因」が生々しいことで有名ですね。「MSが落下し崩落した天井に潰される」「発砲中の銃の薬莢が頭に直撃」「MSの爆発に吹き飛ばされ民家の壁に叩きつけられる(アーサーなんだぜ・・・)」など、なかなかにエグい描写が多く、MSというリアリティのない兵器が引き起こす戦闘でありながら、その恐ろしさと緊迫感に息を呑むシーンとなっています。

そんな序盤の中でも、特に僕が気になったのが、「セシリーが家を出るときに遭遇するパン泥棒」です。
「F91」のヒロインであるセシリー・フェアチャイルドの家はパン屋を営んでいるのですが、彼女が戦闘に巻き込まれ家に帰ったあと、すぐさま家を出る瞬間にパンを持ち逃げする泥棒と鉢合わせます。しかし外は戦闘中でお互い逃げるのが精一杯な状況なので、悶着が起こることもなく5秒くらいで次のシーンへと移ります。

パン泥棒がこの後で登場するというわけでもなく、物語を描く上では全く必要がないシーンと言えるのですが、こういった細かい描写を挟むことで、戦火の中でのパニックをより奥深く描いていると感じました。

また、更に細かいシーンで言うと、イケメン優等生キャラのドワイト・カムリくんが公衆電話から父親に電話をかけているシーンでも、背景の方でははぐれた知人と再会した?っぽいモブの描写が描かれています。もちろんセリフはないので、遠景描写だけで見せているのが見事です。

3つの描写を1シーンで

次に印象的なのが、元クロスボーン・バンガードであり敵軍エースザビーネ・シャルとの因縁を抱える、アンナマリー・ブルージュが主人公サイドへと寝返った直後のシーン。

メインの描写はシーブックとドワイトくんが、いきなり寝返ってきたアンナマリーについて信用できるかどうかを話し合うシーンとなっているのですが、画面全体に黄色いもやがかかっています。

このシーン、
・シーブックとドワイトがアンナマリーについて現況
・アンナマリーの登場機であるダギ・イルスを鹵獲機カラーに塗装(そのため塗料がもやになっている)
・背景では、リィズや子どもたちとともにお墓を整備するアンナマリー

という3つの描写をコンパクトにまとめた、かなり密度の濃いシーンとなっているのです。

アンナマリー関連の描写自体がそこまで長くないため、おそらく尺の関係でまとめたシーンだとは思うのですが、3つそれぞれの描写がアンナマリーというキャラクターを伝えるために連動しているのが、非常に巧みなシーンだと感じました。

また、お墓についての余談ですが、作中で特に言及はないものの、おそらくレズリー・アノーの死因はアンナマリー隊の機体からの銃撃であるという、なんともカルマの深いシーンともなっています。(銃撃した機体はエビル・Sっぽいので、アンナマリー本人が撃ったわけではない?)

誰に話すか

また、最後の出撃前にセシリーとシーブックの母・モニカが会話するシーン。

セシリーの発言に自棄的なニュアンスを感じ取ったモニカは、「あの娘さん、死ぬつもりです」とセシリーに気を配るよう伝えますが、伝えた相手はセシリーに親しいシーブックではなく、ヘビーガンのパイロットであるビルギット・ピリヨです。
セシリーに対して信用を置いていないビルギットからは、セシリーへの配慮を断られる結果となってしまうのですが、そのやりとりを横で見ていたシーブックによって、セシリーへの配慮は行われる形となります。

物語として考えた場合、主人公であるシーブックに直接伝えるのが自然な流れかとは思うのですが、母親の立場で考えた場合には、MS戦闘のプロであり、隊の監督者でもあるビルギットに相談するのが当然と言えます。

こちらも、作劇としてのスムーズさより、リアリティを優先させたシーンと言えるでしょう。
こういった、「あえて遠回りさせる描写」が、作品に奥行きを持たせているのだと思いました。

ディテールを描くということ

「F91」という作品の描写の細かさについて言及させていただきましたが、ディテールを細かくすることが、必ずしも作品にメリットを与えるとは限りません。
不必要なシーンを描き、情報量を増やしてしまうことが、作品を伝わりづらいものにしてしまう結果にも繋がるからです。

実際、前述したアンナマリーやモニカのシーンに関しては、密度を増やしたり会話を複雑化することによって、分かりづらくなっている側面もありました。
本筋を理解できることが物語においては最重要と言えるので、直接的に本筋と関係のない情報が増えてしまうと、それはノイズに転じてしまうこともあるでしょう。

しかし、こういった表現のこだわりや複雑さこそ、富野監督作品の味であり、独特のリアリティの源なのだなぁ、としみじみ思います。

最大の難点

ここまで、「F91」についての所感をまとめさせて頂きましたが、この作品において、僕がどうしても許せない点があります。

それは、そこそこ主要な人物の中にハゲ&ヒゲのおっさんが二人おり、誰が誰だか非常に分かりづらい、ということです。

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片方は味方サイド、もう片方は敵方サイドにそれぞれ位置しているのですが、二人共悪人ヅラをしているため、「えっ、今これどっち?」となることがままあります。

これについてはとても由々しき問題だと思いますので、次のリマスターの際にはどちらかのヒゲをもいでおくことを強く訴えていきたいと思います。

バンダイさん、よろしくおねがいします。



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