震災とコロナと駐輪場

今日、4月14日は熊本大震災からちょうど4年たった日である。全国にその事を把握している人はどれだけいるのだろうか?
別に「震災を忘れるな」みたいなことを言いたくて書き始めた訳では無い。震災に思いを馳せる、みたいな事は平穏な日常を送っている人が節目節目にやると意味があるのであって、今みたいな非常事態の真っ盛りに関係ない地域の人にわざわざ考えさせるのも違うと思っている。
私は4年前福岡で大学生をやっていたから、地震を直接体験した訳では無い。ただ実家のある地域はそこそこ被害が大きい地域だったので(実家自体は無事だったものの)、傷が癒えるのも遅かった。家のすぐ近くの道の修復工事が始まったのは震災から一年以上たった時だったし、なんならうちから数キロ行ったところの道はまだ修復されていない。
そんな状況にあっても、人は震災を忘れていく。壊れたあの道は壊れた状態が当たり前になっていき、まるで震災前からそうだったんじゃないかという感じになってしまう。福岡にいた私だけでなく、あの時熊本にいた人々すらそうなっていく。そんな中で震災を思い出す瞬間というのは、むしろ壊れていたものが元通りになったり、新しく生まれ変わったりした瞬間だ。
今年1月、通勤で使う駐輪場がリニューアルした。震災前は3階建ての立派で古い駐輪場があったが、地震で当たり前のように崩れ、しばらくその土地はただの更地になっていた。3年ほど仮の駐輪場として使われていたのは、とあるマンションの駐車場だった。そこは元々人が住んでいたが、震災でダメになったらしく建物は残っているものの誰も住んでいなかった。かつて住民がクルマを停めていた場所が駐輪場となっていたわけだが、仮の場所らしく屋根もついていなかった。朝晴れてるから自転車で通勤して、帰りは雨だから放置して帰って、次の日タオルを持参してびちょ濡れの自転車を拭いてから乗って帰ることも多かった。だから元の駐輪場の場所に戻ると知った時は本当に嬉しかった。リニューアル初日、(かつての3階建てではなく平面であるものの)きちんとした屋根のある駐輪場に自転車を停めながら、「これが私にとっての復興なんだ」と結構本気で思ったりもした。雨が降っても自転車が濡れない、そんな些細なことを取り戻すため、実に3年半以上かかったのだ。
「でも震災の方がマシだよね」職場でおしゃべりしていると、私の先輩は言った。「地震は『あの日』がワーストであとはどう良くするか考えれば良かったけど、コロナは日を追う事に悪くなっていくばかりだもの」 なにをするにもコロナについて考えなければならない今日このごろ、正直この先のいい事どころか、明日起こる悪いことすら予想がつかない。でもきっと、いつになるかなんて分からないけど、良くなったと思える瞬間はやってくるのだと思う。4年前の自分が「近所の駐輪場」で復興を噛み締めるだなんて思ってもいなかったように、未来の私たちは思いもしない所で幸せをかんじているんだろう。
震災記念日、本当は犠牲になった人のこととかに思いを馳せなきゃ行けないんだろうなあと思いつつ、その後の復興のことばかりを思い出していた。悪いことだけでなく良いことも含めて「地震の教訓」なのだから許して欲しい。世の中が平穏になったら、今日のこの感情も含めて色々振り返りできればなあ、なんて思う。

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