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真昼間に号泣したのはラフマニノフを聴いたからです

実家に帰り古い写真の整理をしていました。その時に母が「何かCDでも聴こう」と言い出してかけたのが、アシュケナージ指揮のラフマニノフピアノ協奏曲第2番&第4番のCDでした。

第2番は大好きな曲で、残念ながらオーケストラでは弾いたことはありませんが、よく聴いていた曲です。

冒頭のピアノの和音は重々しくも、教会の鐘の音を彷彿とさせます。その和音がクライマックスを迎えた後にチェロが奏でる悲しくもあり甘い印象すら与える旋律が訪れます。

その旋律を聴いた瞬間に号泣してしまいました。

話は10年ほど遡ります。

マンドロンチェロ奏者として活動していた私は、よく出ていたライブハウスで一人の音楽家と出会いました。三条ゆきさんという方で、私より4つ年下です。非常に活発な方で、イギリスに音楽留学した後に歌手や俳優として活躍していました。「プログレッシブなカントリーをやりたいんです!」そう言われたときは度肝を抜かれましたが、実際に彼女が書いた曲のデモ音源を聴き、やりたいことが分かったので、マンドロンチェロ奏者としてできることはしようと思い、活動を始めました。

彼女の社交的な性格もあり、様々な経歴のミュージシャンが6人集まりバンド活動を始めました。しかしそれぞれの生活があり、練習すらままならず立ち消えになってしまいました。私はゆきさんの音楽性が好きだったので、何とか一緒に演奏できないか考え、ゆきさんがヴォーカル、私がマンドロンチェロで伴奏というミニマムな編成で活動しました。平成31年4月30日には「平成最後の演奏会」というイベントで彼女の曲とジョニミッチェルのカバーを披露しました。

ゆきさんは一昨年の1月6日に癌で亡くなりました。まだ正月ボケしていた頭には鋭すぎる訃報です。当時の私はまるで自分の右手を全て失ったくらいの感覚に陥りました。余りに早すぎる死に泣き戸惑い、色々な人に電話をかけまくって話を聞いてもらいました。ビルエバンスがスコットラファロを交通事故で失った時の心情が痛いくらいに理解できます。

先述のバンドでの練習の時に、ピアノを担当していた方がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章の和音を弾き始め、それに続いて私がチェロの旋律をマンドロンチェロで弾いたら、クラシックというジャンルでありながらセッションが始まりました。それは非常に楽しい一時であり、音楽という共通言語で会話している感覚を覚えて心地良いなと感じた瞬間でした。

そのような思い出がある曲だったので、久しぶりに聴いた瞬間に三条ゆきさんのことを思い出し、号泣してしまいました。

彼女の座右の銘は「人生の目的とは、出会った人をより良い状態にすることである」だったそうです。誰の言葉か分かりません。ひょっとしたら彼女のオリジナルかもしれません。いずれにせよ、彼女の活発で社交的な性格は、いつも周りの人を励ましていました。ゆえに、彼女は彼女の人生の目的を達成できたと考えることもできます。

最後に彼女とイギリスの友人と4人での共作を載せます。
私のマンドリン録音が最後のパートだったのですが、彼女の命日の2週間前でした。亡くなる前に完成できて本当に良かったと振り返って思います。

「人は二度死ぬ。一度目は肉体的に。二度目は全ての人に忘れられた時に。」これも誰の言葉か分かりませんが、母が会うたびに言う言葉です。
私が三条ゆきさんのことを綴るのは、彼女のことを忘れずにいるためです。二度目の死を避けるためです。3回忌は過ぎてしまいましたが、ご冥福をお祈りいたします。天国でゆっくり見守っててください。R.I.P

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