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野中金吾:17歳でメキシコ革命に参加し活躍した日本人移民の人生

メキシコ革命に衛生隊とし参加し活躍した日本人移民の野中金吾についてと、その人生を描いた書籍"El Samurái de la Graflex"について紹介します。

野中金吾とは

野中金吾は、福岡県出身の日本人メキシコ移民で、メキシコ革命で従軍したメキシコの衛生兵であり、メキシコ北部の街ティファナで最初のドキュメンタリー写真家となった人物です。

野中金吾

野中金吾は、1889年、福岡県に生まれ、真珠貝採りとして働いていましたが、メキシコに移住することを決めました。

1906年に16歳で兄と叔父と一緒にメキシコに移住しました。

17歳の時にオアハカ州のコーヒープランテーションで働き始めました。

しかし、野中のおじは現地の蚊に刺されたことによるマラリアを患ってメキシコ移住後3か月で亡くなってしまいました。

重労働に嫌気がさした後、野中はアメリカ合衆国へ3ヶ月旅に出ました。

チワワ州で、路上で物乞いをしていたところで可哀そうに思った夫人に拾われました。

その際、日本人である野中は17歳よりも幼くみられたということです。

最終的に養子になり洗礼を授ける現地の家族を得ました。

その後、近くの病院で看護を学び、医療施設で働ける資格を取得しました。

彼は、革命の中で医療活動や情報収集などを行い、フランシスコ・マデロやパンチョ・ビジャから信頼を得ました。

彼は革命の中で計14回戦闘に参加し、Batallón de Sanidad de la División del Norteで大尉の階級を獲得しました。1967年9月、防衛大臣マルセリーノ・ガルシア・バラガンより功績を称えて功労勲章を授与されました。

彼は、自伝『私のメキシコ革命』にその経験を書き残しています。

ティファナでの活動

野中金吾は、革命後、1921年から1942年までの間、バハ・カリフォルニア州に定住し、

メキシコ北部の街ティファナに定住し、そこで2つの写真館を開きました。

1924年にメキシコに帰化しました。

彼は、ティファナで最初の記録写真家となり、文化、市民生活、スポーツイベントや、ティファナが小さな町から大都市へと変化を経ていく様子に焦点を当てて写真に収めました。

彼はArchivo Histórico y la Sociedad de Historia de Tijuanaに300枚以上の初期のティファナの写真を寄贈しました。

第二次世界大戦の緊張の結果、ノナカら北西部に住む日系人はラサロ・カルデナス大統領の命令によりメキシコシティへの移住を強制されました。

ノナカはInstituto Nacional de Cardiologíaの創設メンバーとなりました。1977年に死去し、メキシコシティのPanteón Jardínに埋葬されました。

その他の功績

野中金吾は、刑事や国立心臓病学研究所の創設メンバーでもありました。

彼はフリーメーソン団員としても活動し、数々の慈善活動に参加しました。

彼は日本人としてメキシコ社会に溶け込みながらも、自分のルーツやアイデンティティを失わなかった人物です。彼は日本とメキシコの架け橋となりました。

書籍"El Samurái de la Graflex"について

『El Samurái de la Graflex』は、Daniel Salinas Basave氏による野中金吾の人生を描いた書籍です。

メキシコの歴史や文化に興味のある方はぜひこの機会に"El Samurái de la Graflex"を読んでみてください。

野中金吾の人生に触れて、メキシコと日本の関係について考えてみましょう。

メキシコ革命に関わった日本人移住者=1906年に数百人が入植=セルヒオ・エルナンデス・ガリンド(訳:アルベルト・

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