団地の遊び 防犯と火事

防犯と火事

 団地住まいの昭和の頃、泥棒に入られた、という話は、一度も聞いたことがなかった。
 回りの住民で、防犯対策をしている、そんな話は、ただの一度も、耳にした記憶はない。
 ウチは四階だったので、ドアの鍵さえ閉めれば、問題なかった。窓を開けっぱなしでも、物理的に不可能ではないがーーー排水管上るとかーーーそこまでして入る奴は、いないと判断していたし、実際、いなかった、と思う。屋上は、施錠されていて、普通上がることはできない。
 一階の住人でも、ドアの鍵は閉めても、窓の鍵はかけていない、という家はザラにあった。
 家に帰ってきたら、親がいない。仕方ないので、ベランダ側に回る。ベランダは一メートル以上の高さからだったので、そこの鉄柵をつかみ、よじ登る。鉄柵を乗り越え、ベランダに入り、窓を開ける。
 これをやってる友人を見たとき、一階ってのはいいなあ、と思った。
 帰ってきたら、親がいない、家に入れない、という経験は、何度もして、四階だからベランダに回るわけにもいかず、仕方ないので、踊り場かどこかで時間を潰さなければならない。
 当時は、知る限り、一階でも、窓に鍵をかける、という家はあまりなかった気がする。
 トイレ、風呂場の窓の鍵をかけてる家というのは、まずいなかった。一階でも、である。
 こう書くと、入り放題のような気がしてくる。
 共働きか何かで、いつも家の鍵を持ってる子供のことを、カギっ子、と呼んでいた。今ても言うのだろうか?
 ところが、鍵を持ってると必ず失くす。自治会で公園の掃除とかすると、鍵が大量に発見される。
 なので、鍵を持たせない。だから、ドアの近くに鍵を隠しておく。たいがいの家が、同じ所に鍵を隠していた。どこか書こうかと思ったが、まさか今の時代でもやってる奴いないよな?と思い、やめておくことにする。ただ、隠しきれず、バレバレの家もあった。
 平和な時代だったのだろう。
 ドアに鍵をかけない、そういう人もザラにいた。知り合いで、21世紀になるまでは、鍵をかけたことがない、という奴もいる。
 団地というのは、ある意味、見通しがいい。たくさんの窓があり、人がいる。知らないヤツ、不審者、怪しげな挙動というのは、すぐわかるのだろう。だから、平気、なのかもしれない。
 夏、暑い夜、窓を開けて寝るのは、当たり前だった。ただ、一階の住人で、年頃の女のいる家は、閉めていたようである。
 泥棒の話は知る限り、聞いたことはないが、火事は何回もあり、実際、目撃した。団地内で、火事が起これば、いやでも気づく。
 違う号棟で、一階に住む知り合いのウチの、上の部屋が火事になった。火事自体は、それ程たいしたものではなかったのだが、水が凄かった。
 消防車が出動したわけで、火のある二階の部屋を放水したので、一階が水浸しになった。
 現場を見たが、これは大変だぞと思った。真っ先に目についたのは、本棚にたくさんある本が、水浸しになり、膨らんでいたことだ。
 布団が濡れるとか、そっちのほうが、大事なのはわかるのだが、なぜか本にショックを受けた。
 もしかして、人口密度的に考えたら、火事は多かったのかもしれない。
 友達の友達で、芝生を燃やした奴がいた。いわゆる火遊びでもしていて、燃やしたようである。植物というのは、水分が多いためか、火は自然と消えたそうだ。乾燥した冬なら、どうなったかわからないが、確か暖かい季節だった。
 しかし、その芝は、なかなか、きちんと生え揃わなかった。いつまでたっても、茶色いショボショボした短いのしか生えず、燃えた所、というのが、一目でわかった。
 集会所のゴミ捨て場に、火事で焼けたモノが、まとまって置かれていた。いずれも、黒く焦げたモノばかりだか、その中で、目につくものがあった。
 鉄の部分が焼けて黒くなった鉄アレイが置かれていた。これは、持っていこう、別に構わないだろう、そう判断した。
 家に帰り、風呂場で鉄アレイに水をかけると、黒い煤が大量に流れ落ちた。煤がなくなるまで、水をかけた。
 きれいになったソレは、十年以上たっても、まだ使い続けていた。




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