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あなたは「孤独」を大切にしないから

定期的にふと落ち込むことがある。何かきっかけがあるわけでも何でもなく、急にどこかのたがでも外れたように力が入らなくなり、全てのことにやる気がなくなる。

ぼくはそれなりに多趣味な人間で、社会人をしながら大学院に通っている関係もあり、そこそこに毎日を忙しく過ごしている、と思う。土日も基本的にはパソコンの前に座って、映像授業を受け、課題に取組み、論文を読み、プログラムを書いている。ゲームや読書、映画が趣味で、暇さえあればゲーム実況をみたり、本を読んでいるし、時間が作れれば映画も見る。

二足のわらじを履いていることや、定期的に主催している勉強会の話なんかをみて、「すごいね」と言われることもあるけれど、それが辛いわけでもなんでもなく、むしろ楽しい。頑張っている自覚はないから、向いているのだとも思う。

でもなぜか、時々ふとずーんと深く落ち込んでいくのだ。

昔「そして生活はつづく」という星野源さんのエッセイを読んだ。とても素敵な本で、何度も読み返したのだけれど、気がついたらどこかにいってしまった。何かのタイミングで売ってしまったのかもしれない。

その本は星野源さんが病気で倒れるころの出来事が綴られていて、一つのエピソードでまさにそのあたりのことが書いてある。正確なことは覚えてないのだけれど、母から言われる「あなたは生活を大事にしないから」という一言についてのエッセイだったと思う。

今、なぜこのエピソードを思い返したのか。

それは多分自分の中の孤独とか、暗い想いみたいなものを、ここに重ねたからだと思う。

日々、勉強をして新しいことを学び、考え、発信をして、また学んでいく。仲間もいて、一緒に本を読み議論をする。職場でも仕事と遊びと学びは直結していて、端的にいって文句のない楽しい生活をしている。

だからこそ、自分の中の孤独みたいなもの。何か暗いもの。

それを置いてきているような感覚があるのだ。

ぼくにとって、たまの気分の落ち込みはそういうものと向き合う時間を作るための大切な時間なような気もしている。

コロナ禍の新しい生活は、これまで以上にネットワークで人とつながることが容易になり、一日の多くの時間をそうした環境で過ごすようになっていった。

そして人はどんどんと新しい場所へ飛び出し、学びを得て、成長していく。そういう在り方が、いいとされているし、ぼくも基本方針としてはそれに賛成している。飛び出さないまでも、変化をしていくことは重要だと思う。

けれどときには、自分の孤独と向き合い、何でもない時間を過ごすこと。ネガティブに時間を過ごすこと。そういう時間も大切なのかもしれない。

あなたは「孤独」を大切にしないから

そんな風に身体から言われているのかもしれない。


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