オークランド大学の思い出 後編

 今回は先月の続きで、ニュージーランドのオークランド大学に通っていたときの思い出を書こうと思います。日本人留学生は覚えている限りでは同い年の人は三人いて、一人は同じ工学部やったけど結局一度も話すことなく一年の終わりに日本に帰ってしまって、俺も三年の途中でギブアップして帰ってしまったのですが、帰るまでの話です。海外の大学は入るのはわりと簡単やけど出るのが難しいというのは多分本当です。現地の学生たちでも一年の終わりに地元に帰って別の大学に編入したりという人は同じ寮の友だちの中でも何人かいました。俺の場合一年のころは意外とついていけていたのですが、二年からは完全に四畳半神話大系の小津のような状態で、成績は低空飛行。もはや何のためにこの大学に在籍しているのかわからないといった状態でした。
 英語やったとはいえ、勉強する内容は多分日本の大学とほとんど同じなので、大学生活自体は本当に平々凡々といった感じでした。なので今回は勉強のことというよりは友だちとの思い出や、ちょっとだけあった恋愛の話を書きたいと思っています。現在テレビでは紅白歌合戦をやっていると思うのですが、今年はがっつり見ないことにしました。先週の日曜日にYoutubeでまふまふのRewrite the Sagaを聴いていたらおすすめに緑黄色社会のピンクブルーが出てきて、ボーカルの人の顔が年上の友だちとそっくりやったので気になって見てみたらハマったので、緑黄色社会のとこだけ見よかなと思ったのですが、ああいうええ感じにまとまっているきれいな女の人のことはあまり見ないほうがいい気がする。というのが男性心理の正直なところなので結局見ていません。
 さて、大学の思い出なんですが、簡単にまとめると、勉強とか以外はほとんど高校のときに仲よかった友だちとオークランドシティ内の色んなところにふらっと行ってみていたくらいでした。大学になると学生の数も増えるので、よほどの人じゃない限り目立たないんです。完全に集団に汎化していました。実際にそう呼んでいたわけじゃないけど、高校のころから仲がよかったエディーはよく俺のことを気にかけてくれていました。オーバーウォッチを教えてくれた友だちで、ほかにも現地のカードショップに連れていってくれたり、服屋に一緒に行って服を買ったりしていました。そこで驚いたのが、その服屋の、ぱつぱつのボーダーの服を着たわりかしきれいな欧米人の店員さんがずんずんと近づいてきて、
「なにかいい服ありました?」
 みたいに話しかけてきてくれたことです。日本ならよくあることかもですが、男だらけの工学部にいた当時としてはなんだか自分に自信がつくような出来事でした。その店では水色でなぜかNYとプリントされているTシャツを買いました。エディーとは多分オークランドでも一番お洒落と言える、そこだけニュージーランドっぽくない、ギリシャみたいな感じの広場に行ったのもいい思い出です。写真に撮っておけばよかったけどあまりにお洒落すぎて撮るのを忘れていました。エディーからは、
「タイキはいいよな。俺はこの大学を出てここで働かないといけないけど、お前はここじゃなくても日本に帰ることもできるんだから」
 みたいなことを、もちろん彼は日本語がまったくできないので英語でそう言われたんですけど、どう言われたか全然思い出せないので日本語で書いたんですが、そんな感じの言い回しがうまい優しいやつでした。要するに、別にお前は帰ってもいいんじゃね? と思ったんやと思うんです。実際に彼の誕生日パーティーに行ったあとに日本に帰国しました。工学部ではインターンシップ制度があって、二年の終わりと三年の終わりにどこかしらの会社でインターンという名のアルバイトをしないといけないのですが、俺は二年の終わりに日本の会社で三ヶ月ほどアルバイトをしていたんですけど、その後オークランド大学に戻ってからなんか色々崩れたような気がします。特に最後のほうにあったグループワークはまったくついていけていませんでした。失礼やし、完全に負け惜しみなんですが、そのグループの人たちの見た目はほぼオーバーウォッチリーグでした。オーバーウォッチでは、恥ずかしながらゴールドより上のレート帯に一度も上がれたことがないのですが、なんというか、OWLって多分こんな感じなんやろなって思いました。言ったら悪いけど、みんな自分のスキルを見せつけたいって感じで、ついてこれない人のことはあまり気にしていないような感じでした。とても残念やったけどそこでオークランドでの大学生活はほぼ完全に諦めました。エディーも俺のそんな雰囲気に気づいたりしていたのかもしれません。
 思い出語りは毎度なぜか長くなってしまって申し訳ないのですが、忘れていた、一つあった恋愛っぽいやつも話しておくと、一年のときに寮で知り合ったアシュリーという欧米人の女の子とは二回だけデートに行きました。ちょうどいい感じの例えがあったので、例えさせてもらうと、スパイダーマン3でグウェンがエディー・ブロックに言っていた、
「コーヒー飲んだだけじゃない」
 って感じの仲でした。本当に一緒にコーヒー飲んだだけの友だちやったんですが、五年半ほどニュージーランドにいて一番仲よくなった欧米人の女の子やったと思います。最初に寮で会ったときに、やけに目が合うような気がしたので、ぶっちゃけ狙っていましたが、付き合えたりはしませんでした。がっつりフレンドゾーンです。仲よくなりたくて、一緒にできることなんかないかなって考えた結果謎にテニスを始めてみたり、今思うと錦織圭選手に似てると何度か言われたことがあったから、錦織選手は世界的にも有名やしってことで始めたんやと思うんですけど、一度アシュリーを誘ったら意外と乗り気やったから驚いてしまって、普段は全然調べない天気予報を見て、
「アシュリー、明日雨だ!」
 って言ったらテニスデートはなしになりました。可愛らしい思い出ですよね。最終的には俺がちょっとしつこかったからか怒られながらがっつりフラれてしまったんですが、俺の中ではわりといい思い出です。ニュージーランドでは勉強を頑張った結果、これもいい例えを見つけたのですが、バイオハザードRE:4に出てくる女の子みたいな感じの子と仲よくはなれました。アシュリーはビリー・アイリッシュにちょっと似ていて、エラ・フレイヤちゃんほどじゃないけど、好みの見た目でした。勉強はすごく大変やったし、工学部は男の子だらけやったけど、留学した結果現地のきれいな子と仲よくなれたりもしたと言いたかったのです。クラブで酔っ払った女友達がお尻をこすりつけてきたとかもありましたよ。
 オークランドでの大学生活はそんなこんなでした。どんなこんなという感じですが、日本人男性は外国ではモテないというのは、実際どうなんやろなと思います。モテたような気もするけど、多分、日本人男性は日本にいるほうが、日本の女の子から好かれると思います。
 今年は遊戯王カードの販売にちょっと力を入れてBaseでカードショップを開いてみようかなども考えましたが、それにはまだ早いかもなとラクマをやっていて思います。正直、ラクマの取引メッセージのやり取りとか、返信をしないことがほとんどで、客観的に見たらあまりいいショップではないのかもしれません。オーバーウォッチのEndorsementを参考にしていて、評価するときもお礼を書かないようにしているんです。結果悪い評価がつくこともあったのですが、個人的にはまあまあな年やったんちゃうかなと思います。来年から、違いを調べるためにmagiでティキという名前にして始めてみよかなとかも思っています。正直小説を書くのをサボるためにこうやってnoteにだらだら書いているようなところもあるのですが、なんだかんだで裏で進めている小説も、今年の目標やった文字数一万文字を達成しました。正直面白いかどうかはまだわかりませんが、書いていてまだ小説も書けそうやな、という感じはしました。また長くなってしまって、もし読んでくれた方いたら申し訳ないのですが、来年も引き続きこんな感じやと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


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