クリスマスについて。
先日東急ハンズに行った。
そうすると入口付近のある場所に、人だかりができていた。
その人だかりを覗くと、そこはクリスマスカードのコーナーだった。
昨今街で見かける人だかりの先にあるものは大抵自分にとってはあまり興味が持てないものが多い。
並んでいる人達にもおおよそ、ふぅーんという感じで感情が動くことはほとんどない。
だが東急ハンズの人だかりの先にあったものがクリスマスカードだったことで僕は何だか微笑ましくなったし、クリスマスカードの前でわちゃわちゃ何にするか選んでいる人だかりの一人一人がどこか愛しく感じられた。
行列のできるパンケーキとクリスマスカードのどこに差があるのか?
それは誰の為か?
というところではないかと思えた。
キャラメルやアイスやメイプル、シナモンをどれにするか選んでいるのはもちろん今食べる私の為。
もちろん自分の為は全然悪くない。
食べたいものを好きなように食べる、選ぶは最高だ。
一方クリスマスカードは、これを贈る私を想像する人もいて、私の為でないわけではない。
それでも贈る人がいて、その人と私の関係の中でどのカードにすると良いか、好きか、喜んでくれるかを考えている。
贈る人に喜んでもらいたいと選んでいる人達の人だかりだから何だか良い気をもらったし、見ている僕にもそれが伝わって微笑ましくて温かく感じたのかもしれない。
そしてこの現象はクリスマスの時期の至るところで起きているのでは?
と東急ハンズ以外でも街中にいると感じる。
誰かへのプレゼント、みんなで集まる時の食事や飲み物や差し入れ、ツリーや飾り付け、サンタさんというサプライズイベント。
あらゆるところで、あなたとわたしとみんなを喜ばせる試みが多発するのがクリスマスなのだ。
世界中でクリスマスが採用されてきた理由がわかるような気がする。
人が元来好きなものがたくさん詰まっている。
「みんなで何かをする」「誰かを、みんなを喜ばせる、驚かせる、楽しんでもらう」「美味しいものを食べる」「人を大切に思う、思われる」。
生まれたところや皮膚や目の色や、文化や言葉や宗教が違っても人が本当にうれしいことはそこまで変わらないのではないか、ということをクリスマスは教えてくれているように思う。
そしてどうしたらもっと楽しいか、喜んでもらえるかを、料理が得意な人は料理で、手先が器用な人は創作物で、絵がうまい人は絵で、音楽が得意な人は音楽で、喋りが得意な人は喋りで、デザインが得意な人はデザインで、物語が好きな人は物語で。
みんなが毎年少しずつ良くしてきたから、クリスマスにまつわるものは、どこか心踊る、わくわくしたものなのだと思う。
人が人にいつもより関心があって、人が人と仲良くいられる、そんなイベントがクリスマスなのだと、東急ハンズのクリスマスカードの前で楽しそうな人だかりを見て、感じ、だからこそ世界中にクリスマスというイベントが広まったのかもしれないなぁとクリスマスを目前にして思いました。
定番や定型がたくさんありますが、どうか関わる人達と心地好い時間になりますように。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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