「う」について論じてみた

「う」の有用性及び無意識的な刷り込みの危険性についての検討

目次
1.はじめに
2.代名詞としての「う」
 2.1.「う」という仮名について
 2.2.代名詞となった経緯
3.「う」の有用性
 3.1.①の観点について
 3.2.②の観点について
4.「う」の刷り込みによる危険性
 4.1.刷り込みの現状
 4.2.刷り込みへの対処法
5.おわりに

1.はじめに
本論文は「う」の有用性及びその危険性につき詳細な検討を試みたものである.本論文は第54回DIALOGUE+BOX内での緒方佑奈氏(以下,緒方氏)の発言に着想を得たネタ記事で,論文としての実質は有しないものである。ここまでの数行を読んでくれた物好きの諸君においても,適宜読み飛ばしつつ雰囲気だけ味わっていただければ幸いである.

2.代名詞としての「う」
2.1.「う」という仮名について
「う」とは日本語の音節の一つであり,仮名の一つであり,緒方氏の代名詞でもある.日本語においては母音の一つであり,他の母音同様「日本語」そのものを構成する部分として非常に重要な役割を担っている.また,「う」は歴史的な意味合いをもつことが多い仮名でもあり,十二支の四番目は卯年(う-どし)であるし,「土用の丑の日」には「う」のつく食べものを食べるのが良いとされていた.漢字の部首である「うかんむり」は片仮名の「ウ」の形に由来するとされ,特に「守」や「宮」といった漢字はよく目にすると思われる.もちろん,日本語はどの仮名もそれぞれが非常に重要な意味を持つが,「う」の果たす役割の大きさを改めて確認したいところである.

2.2.代名詞となった経緯
「う」が緒方氏の代名詞となった経緯につき,残念ながら私の記憶は定かではない.いつの間にか片手で例のポーズをとるようになっていた記憶が脳内に存在している.朧げながらであるが,同じくメンバーの内山悠里菜と激しい(?)「う」争いをしていた時期があった気もする.いずれにせよ,いつのまにか「う」は我々ログっ子の脳内に入り込み,代名詞たる地位を獲得していたのである.この危険性については後述する.

3.「う」の有用性
以下では「う」の有用性についてつの2つの観点から考察する.すなわち,①ユニークかつ手軽なポージング ②母音であるが故の使い勝手の良さである.以下,順に詳しく述べる.

3.1.①の観点について
有用性の一つ目として「う」のポージングに着目したい.「う」のポージングは片手で作ることができ,私のように不器用な人間でなければきれいな「う」をいつでもどこでも作り出すことができる.日本語に存在するの47の仮名のうち,片手だけでつくることができるものは限られている.(「あ」などはどうあがいても無理であろう.)ところが片手だけで作ることのできる仮名の大半は「し」や「つ」といった一画の簡単な仮名であり,故にポージング自体も単調なものとなってしまいがちである.試しに「し」を片手で作っていただきたい.私がそれを見て「U」のポーズだと言ったところで有効な反論はできないであろう.大方「し」と「U」のポージングは似るものだからである.
これに対して「う」は画数で言えば二画,構造的にも少し複雑な形をしている.「片手で作ることができ」て,「ユニークな形」である.これこそ,「う」がその仮名自体のみならず,ポージングとともに代名詞たる地位まで上り詰めた一因であり,「う」の有用たる所以ではないかと考える.

3.2.②の観点について
有用性の二つ目として「う」の仮名としての使い勝手の良さに着目する.そもそも「う」は文章で使われることが多い仮名である.本論文はあくまでネタ記事なので正確な統計やデータに全く依拠していないが,この世の中から一つだけ仮名を消さなければならない状況に陥った際に「う」を選ぶのは少数だろう.そして文章に登場する回数が多いということは,「う」を強調できる機会が自ずと多くなることを意味する.また,「ありがとう」や「おはよう」など「う」は終わりの言葉として使われるタイプの仮名である.(あまり使われないタイプの仮名の例として「ひ」など.)単語の終わりに登場すると,好きなだけ伸ばすことができる.よく使われる挨拶の言葉にも「う」で終わるものが複数あるため,非常に使い勝手の良い仮名であることは容易に想像がつく.
また,「う」は母音であるため,う段の仮名であれば極論どこにでも「う」を登場させることができる.「素晴らしい」の「す」の後ろに割り込ませて「すぅばらしい」といった具合である.
さらに極論を超える極論であるが,音として違和感がなければう段以外の仮名の後ろにも登場させることが可能である.例えば緒方氏の数日前のインスタグラムには「#プレゼントゥ」というタグが付記されている.勿論,「ト」はお段である.音の響きに不和がなければどこへでも割り込ませることができる.この汎用性こそが「う」が有用たる所以だと考える.

4.「う」の刷り込みによる危険性
以上で「う」の有用性につきその根本たる原因を探ってきた.ここからは視点を変えて「う」の危険性について論ずる.
人間とは有用な事物にめっぽう弱いものだ.現代社会において,有用なテクノロジーに慣れてしまった人間について,本来有していた能力に劣化が見られるという話はよく耳にする.それでは,我々ログっ子は「う」に脳を支配されてしまっていないか,我が身を守るためにどのような対処を取るべきか,以下検討する.

4.1.刷り込みの現状
一部では脳を「う」で支配されたと思わしき人による言動が観測されている.直近の事例だけでも以下のようなものが存在する.
・第54回DIALOGUE+BOXのメール本文に「う」が混入した事例
・クリスマス生配信(打ち上げパート)のメール本文に「う」が混入した事例(二件確認)
・リミスタのメッセージに「う」が混入した事例
もちろん,これらは本来適さない場所に「う」が混入していた事例であるため,脳を「う」に支配されている者による行動である可能性が非常に高いと考えられるぅ.「私は大丈夫だ」と安直に考えるのは危険だろうぅ.

4.2.刷り込みへの対処法
では,このような「刷り込み」の危険に対処するにはどうしたらよいか.緒方氏と距離が近く,故に「刷り込み」のリスクの高いDIALOGUE+メンバーは毅然とした対応を取っているように見受けられる.以下,参照のため列挙すると
・ものすごく嫌そうな顔をする
・ファンからのメールにも関わらずクシャクシャに丸め,投げ捨てる
・デカデカとバツ印を手で作る
・別のポーズで対抗する
などである.しかしこれはメンバー間の信頼関係の下なされている対抗策であるため,我々が安易に真似をするべきではないと考える.
では,このような状況下で自分を守るためにはどうしたらよいか,思うに「自己をしっかりと保つ」ことがやはり大切なのではないか.「う」の波には負けないという気持ち・心意気.これこそが自分を守る最後の砦となるマインドなのである.

5.おわりに
「う」を論ずるにあたって「対処法」という視点を持ち出したが,これは記事の構成上やむを得ずである.むしろ,ただの仮名一文字を声優とファンのコミュニケーションツールとして確立させたことは本当にすごいことだと私は思っている.今後とも,しれっと「う」をねじ込んでくる緒方氏とそれに対してブーイングをするメンバーのやり取りを楽しみにしたい.
                                以上


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