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放浪記①〜20代のころ少々放浪癖がありまして〜

突然ですが僕は22〜25くらいまでパチスロのセミプロみたいな事をやっていた時期がありました。


というのも当時の乗船スケジュールは『6ヶ月乗船3ヶ月休暇』でしたので3ヶ月も休むと人は自然とそうなってしまうわけで。


毎日朝イチのパチンコ屋に並び、閉店までお勤めし、閉店間際のデータを近隣店含め3店舗ほど収集し、ホテルに帰ってデータを解析し、次の日の狙い台を絞る。

僕の家は離島にありますので、このような生活をするため休暇の大半をホテルで過ごしており、ホテルのフロントでは『おかえりなさいませ』と言われる程でした。

パチスロの収支はと言うと、当時レクサス購入の頭金になるくらいは稼ぎました。


さてこの時点でビスケットオリバばりのアンチェインっぷりですが(知らない人はググってください)そんな僕が放浪の旅に出た時のお話しです。


東京でとある研修を終え、自由の身になった僕は『パチスロ一人旅』を決行することを密かに決意した。

東京から家(日本の西の果て)まで少しずつ西に進みつつ期限を設けず自由を謳歌するというものだ。


旅するにあたっていくつかルールを決めた。

①1円でも負けた日は漫喫に泊まるべし
②1円でも勝った日はホテルに泊まるべし
③勝った日の夕食は寿司にすべし

旅の想い出はいろいろあったのでシリーズ化にします。今日はまず第一話から。


『第一話 横浜ホームレス入門の巻』


横浜のとあるパチンコ屋で打っていた時のことだ。

この旅も始まったばかりでやはり初めて行く店は傾向が掴みづらく苦戦を強いられていた。

時刻は9時過ぎ。

所持金1300円。

今日はもうダメだ。
コンビニのATMでお金下ろして漫喫行こう。

コンビニのATMを操作し、今日の宿代と明日の軍資金を下ろそうとした。


するとATMの画面でお姉さんがm(__)m←こんなんなっている。

『申し訳ありませんがお取引時間外です。』

WHAT?

そこからコンビニを何軒か回ったがどこも同じだった。

この時初めて知ったのだが、僕の使用していた銀行口座は地方銀行過ぎて夜9時以降はATMが使えないらしい。


これは困った。

さてこの極限状態で残り1300円ほど。

皆さんならここからATMが使用可能になる翌朝8時まで1300円でどうサバイバルするだろう。



ちなみに僕がとった世紀の愚策を一応下記に紹介する。


とりあえず腹減ったのでファミチキを買って食べた。

残金千円。この時点で過去の自分を呪いたい。


ファミチキを食べ終わった僕は、とりあえずタバコを一本吸った。つくづく呪いたい。


タバコの火を消しながらある決意を固めていた。
コンビニを回りながら頭の片隅にあったアイデアだ。

いよいよ実行に移す時が来たのだ。

僕は最後の千円札を握りしめ、再びパチンコ屋へと入って行ったのだ。誰か呪ってくれ。


5分後。
晴れて一文無しとなった僕は初めて焦り出した。


『どうしよう?』


たが気持ちは2秒で切り替わった。
『いやどうしようもない』

横浜の街を肩で風を切って颯爽と歩いてみる。
『誰もオレが一文無しだとは思うまい』


横浜の街で野宿はキツい。時期は9月だから季節的にはベストシーズンだが。

そこで閃いた。

歩き続けるのだ。

一晩中歩き続ければ『横浜で野宿した人』ではなく『横浜を一晩中歩いた人』になれる。

よくわからない横浜カースト制度の最下層だけは避けるべくとにかく歩いてみた。

2時間後限界が来た。

もうその頃には目的は『歩くこと』から諸先輩方の寝床を参考に『安全な寝床を探すこと』に変わっていた。


最終的な決断を下すときがやってきた。
僕が見つけた寝床は小綺麗なオフィスビルの前のベンチみたいなところだ。

深夜で誰もいない。
サイフはポケットの中に押し込み更に手で握ったまま寝ることにした。いや空やん。


翌朝

『大丈夫ですか?』


ビルの警備員に起こされた。

『大丈夫‥です。』

ほぼ声は出ていない。
はじめての野宿の感想は『意外にもよく寝れた』である。


しかしこの出来事はこれから始まる数々の事件の序章に過ぎなかったのである。


つづく。


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