見出し画像

2023.12.8 日常をはらったような日

日常をはらったような日、という言葉が私のなかにはずっとある。ある一種の気持ちというか、感覚をそのまんま表現した自分なりの言葉なのだけど、これはふとした時に突然訪れる。初めて演劇を経験した日の帰り道、涙でパンパンの目で東京を歩いたとき、歩道の緑が朝露みたいに輝いていて、電車の音さえも美しくて、イヤホンをするのがもったいないくらい美しかった。大好きな人から、わかりやすくて大きな愛をもらった次の日、いつも通る道が花園みたいに見えて、木肌がおもしろい顔のように飛び出してきて、葉っぱが風で揺れているのがちゃんと見えて、さわさわした音がちゃんと聞こえて、すれ違う人や植物みんなに愛をふりまきながら歩いた。そんな日は、今日も訪れた。そういう時は、自転車漕いでいるだけでめちゃくちゃ楽しい。なんか、むき出しで、楽しくて、いつもの風景が違って見える。世界がまったく違ったように見えるのだ。目の前に流れる景色が目に入っているような、いないような。さっきまでのことを考えているような、いないような。その場に生きているような生きていないような感じ。喜びと高揚感に包まれている。飛んでいるような気持ち。そして書かずにはいられなくなるのだ!この、書くという仕事は突然やってくる。普段は別に書きたくもないのに、日常の何よりも優先順位の高い仕事になる感覚。ごはんよりも、着替えよりも、外部との連絡よりも。書き終わるとすごい安心する。ひとつひとつの感覚を取りこぼさないように、保存して帰ってくるのだ。はやく、はやく、机とパソコンがほしい。やっと打てる。今日の喜びは、私たちのエネルギーがそれぞれ輝いて振動していて、ぜんぜん違うのにばっちり嚙み合っていて、もうなんだか夢みたいに楽しかった。話の流れも、出てきたワードも、エネルギーも、熱いうちに閉じこめるように議事録をとってた。電話で話したあと、あとの二人はいる場所が近かったから会っちゃったりして。最高なふたりだ。とてもきれいだ。二人のおかげで、つちの小屋を建てたい場所が明確になった。それをやる意味も。つくる過程に共鳴したい人も、つくったあとにそこで表現してほしい人ももう浮かんでる。意味はもっとみんなで話してもくもくしたいところ。ひとりでのクリエイションを超えた、人と共鳴しあうことの喜びは、ほんとにおっきい喜びだ!ということに気づいた。準備ができたときに、それは叶う。それは、単純に能力とかだけじゃなくて、自分がどういう状態にあるかとか、些細な、いろいろな人たちとの間のことも含め、ちょっとしたわだかまりをなくすことだったり、ちょっとした情報を話しておくことだったり。どういうレベル感で共鳴している状態か、繋がりあっている状態か、みたいなことも。今日はそれを予感して、まだ話さないでいいかな…と思って一度はひっこめたことを察知して、後悔しないようにちゃんと話すようにした。そしたら、午後にはちゃんと繋がった。早すぎてびっくりした。この間は、ほしいおうちが叶った。今は、ほしい仲間と、小屋をつくる目的が叶った。そこに向かわせるひとつひとつのピース。ちょっとこわいし、面倒くさいけど、ちゃんと願えば、ちゃんと叶う。ひとつずつ叶えていって、いつか、自分でも夢にすら思わなかったようなすごいところにたどり着く。きっとそこには驚嘆して抱き合って涙を流す仲間たちがいる。

***
その時のエネルギーを、あるうちに文字に変換しておくことはとてもよい!周りの人が会って共有する前に既に読んでくれて自分の状況を知ってくれているのは、すごいことだと思う。それによって、ありがたいことに何か次のステップを勝手に周りのひとが引き寄せてくれていたりもする。現実の進行のスピードがさらに早まる。あと、いざ共有できるときになって自分の気分が乗らなかったり、エネルギーを出したくないモードなのに出さなきゃいけない、みたいな状況があると、ぐずりたくなるというか、帰りたくなっちゃうというか、意外と苦手かもということにも最近気づいてきて、文字にしておくと自分がちゃんとご機嫌なときのエネルギーのまんま伝えられるのがすごくいいなと思う。昔に起きたことでもいつでも関係なく、今追体験しているようにその時の感覚のまま伝えるのもすごく好きだけど。すごいことが起きて、それをそのまんまのエネルギーを呼び起こして10人に伝えるとなるとそれだけで一日終わっちゃう。自分が読み手としても、相手のちょっとしたニュアンスをちゃんと受け入れようと思えるような、ご機嫌なときに勝手に読めるタイミングで読めるのはすごくいいなと思う。

帰り道、なぜか聴きたくなった曲。
明日は久しぶりにダンスイベントがあって踊るんだ!楽しむぞ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?