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ショッキングな日

コメダ珈琲に着いた。さて、なにから書いたらいいのだろうか。今日は、ショッキングな日だった。ものすごい色々なことを感じた日だった。
まず、いま左官の現場を手伝っている(それまでのいきさつもいつか書きたいと思っている)。今日は、横浜で外壁の壁塗りと、建物のなかの手洗い場の小さな壁の修復だった。だから、朝から夕方まで外にいたわけだけど、いつもの私ならおうちから出ない。でも、家に着いてすぐに服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びて、キッチンにあった昨日のカレーののこりと、けいごが昼につくったのであろうおかゆ?水分多めのおこめ?が何故かその横にあって、なんでだろう?と思ったけど、お玉ですくってお気に入りのスープ皿に取りカレーをすこし入れて、つめたいカレー雑炊をつくってかきこんで来たのだ。真っ暗な山道を電動チャリで駆けぬけ、大きな車道をすいすい濃いできた。山道も、信号の赤も、全部よく見えているけど入ってこなかった。あぁ、こうやって、こんなふうに急いでいる人が歩行者にぶつかったり、車にぶつかって事故を起こすのかしらと思ったけれど、いや、そんなはずはなかった。いまこのスピードで走れないのなら、事故でもなんでも起きてしまえと思った。そのくらい、すべてが私の味方をしてくれているように感じた。日常を払ったような日、日常を払ったような日。と心のなかで繰り返しつぶやきながら最速で走った。

さて、ちゃんと書こうと思う。たった今、カフェオレとミニシロノワールをお兄さんが順番に持ってきてくれた。そしてものすごい勢いで平らげたところ。まわりくどいことせずに、なにがショッキングだったかというと、親方が、これ混ぜられるかな?と頼んでくれた外壁の材料をつくるときのモルタル素材との出逢いだった。
水が入ったバケツに、ばふばふとモルタルの粉を入れていく。バケツの淵を左足で踏んで抑えて、すごいスピードで回る重機でよくかき混ぜるのだ。材料は一袋2.5キロで、あ、これわたしが両手で持てる限界の重さかも、と荷上げの時に思っていたやつ。粉は粒子が細かくて、口の空いた紙袋を持ち上げると粉埃が舞う。袋を持ち上げてバケツに入れるのは重たくて無理だったから、でっかいお玉みたいなやつですくって小分けにして入れていった。すっごい粉埃に慣れなくて目がやられた。こやつ、いったい何でできているんだろうと思って、袋の後ろを見てみた。袋の上には、使用方法とつくる時の注意事項。半分よりちょっと上から下にかけての大部分には、「危険有害性情報」と、赤いダイヤ型に囲まれた人間の胸に、白い星印がひかっているイラストが描かれていた。呼吸器系の障害、長期または反復暴露による呼吸器系・腎臓の障害、発がんのおそれ。【予防】作業時は防護具(防塵マスク、安全メガネ、手袋など)を着用してください。【応急処置】暴露または暴露の懸念がある場合、医師の診断、手当てを受けてください。気分が悪いときは、医師の診断、手当てを受けてください。
これらは石膏プラスターの裏面に書いてあった文面。私が初めに見たモルタルの裏面は写真を撮るのを忘れちゃったんだけど、もっと多くの情報が書かれていたように思う。
ひと通り作業を終えて、おやかたに、なんかこれツラいね、と言った。つらいよ~と親方は言った。

まず、日本の食品やお菓子にはたくさんの化学物質が含まれていると聞く。海外のスーパーなどで見る日本のお菓子の裏面には、大きな赤い文字で「WARNING」と書いてある。多量の発がん性化学物質が含まれていて、病気のもととなる可能性がある、という旨がきちんと消費者のテンションを惹く形で書いてあるのを、海外に住む方のインスタでみたことがあった。その方の子どもは、それをちゃんと自分で読み理解したうえで、週に一度アンパンマンのお菓子を自分へのご褒美として自らの責任で選び、おいしく食べているのだそう。今日見たそれは、その動画にあったニュアンスと似たような感じを受けた。モルタルにもちゃんと危険であることが書いてあったのであった。

ショッキングだった。すごい凹んだ。まって、整理できない、という気持ちが続いた。ちょうどお昼休憩の時間になって、私いま、日本の建築の現実をちゃんと見た気がする。どんなものか、なんとなくイメージしていたけど、いざ目の前で見て自分で粉を被って混ぜてみたら色々なことがわかった。それはすごくショッキングな現実だった、と親方に伝えた。車のなかで親方に色々と質問したり話を聞きながらお昼を食べた(その時話してもらったことは、また改めて書こうと思う)。まだ色々考えはじめられない、ただショックをうけている、というだけの状態がしばらく続いた。これ、つくる人の身体はどうなっていくのさ。途中からマスクした。大袈裟と思われるかもしれないけど、あえてそのまんま感じた表現で言うと、まつ毛と鼻毛があってよかったと思った。皮膚に触れた濡れた靴下と軍手を脱いでサンダルごと足を洗った。土や藁、自然素材をつかった家づくりが技術的にちゃんとできる人たちでさえ、こうやって家をつくらなければならない状況や構造があるんだなと思った。凹む。わかっていたけど、ここまで目の当たりにするフェーズに来たんだ、と思うと本当に凹んだ。とりあえず寝ようと思って、助手席で30分くらい寝た。

休憩があけて、私は建物の中の壁を霧吹きで濡らして、ヘラでもんじゃの汚れを取るみたいにやわらかくなった壁をはがす作業の続きをした。親方は外壁を塗っていた。終わって、外にでると親方があまりしゃべらなくなった私を気にしてかどうか、「たちなおった?」と聞いてくれた。私はあんまりなにも考えずに、「誰もわるくないと思ったよ。だって食べていかれないもん」と答えていた。なおはそういうふうに考えるかーと言ってくれる親方の人柄が好きだと思った。

おやかたの左官の動きを見ていた。左官屋さんの塗る仕草は本当に美しい。今そのコテで伸ばされる内容が土だったら、どんなにいいだろう。なにより、自然素材のよさを知っている人が、モルタルの粉を吸って仕事をしなければならない状況をどうにかしないといけないと思った。ここまできた時代背景はどうなってるの?親方といろんな話をした。今まで簡単に家が買えすぎたこと、自然素材を使った建築のコスト高、家を沢山つくった時代、ローンの話、親方の師匠はどうしていたか、自然素材以外のものも使っていたか、左官は初めは土壁でしかなかったこと、塗る素材の変遷、100%自然素材にこだわる建築家はあまり聞かないこと、それに近い現場を今度みに行こう、親方はデザインの可能性という切り口で土を見ていること、その結果健康につながるんじゃないかと考えていること。
「土壁のオーダーがゼロじゃないことが奇跡」というのが現代の左官の現状の一側面なのかもしれない。

なぜか私は凹みながらも、終始明るい気持ちでいた。モルタルさんに対して、「あたしこいつ嫌い。」と思った。でもそんなこと言ってらんないと思った。ほんとうに誰も悪くないと思うんだ。今日ショックを受けたみたいに、どんどんショックを受けていく。色んな人の話を聞く。ちゃんと色々知る 現実の部分を。
普通の感覚でいたら、ほんとうは重機をつかうのもこわいよね。恐ろしいものを操作しているような気がした。人間は、どこかの大きさを超えると、”量産している感覚”になる。ある一定量を超えると、真心をこめる、大切に扱う感覚がなくなる、曖昧だけど明確な一線があると思う。この感覚に名前をつけるとしたらなんだろうとか考えていた。私はその範囲内で、この量がかわいい、と眺めながらつくる感覚を忘れないように復習した。身体にやさしい食事、自然食、身体にやさしい衣服をつくるときのような手つきで、身体にやさしい家をつくるとしたらどんな感じなのかしら。そんなおうちをつくり、そんな建築を売っている人はどこかにいないのか。みんながそこにリーチできるような賃貸サービス、自然素材のレジデンス、貸し出すルートをつくってあげる事業とかあってもいいよね。
洗濯ものをつっこんで来た。べつに明日洗ってもいいんだけど、ここまで大袈裟にいろいろやらないと、二回目からは慣れてなんとも思わなくなることを知っているから、あえてここまで大袈裟に表現しようと思った。おかしいよねと感じた、こわいと感じた、正直な感覚を忘れないために。

「第三の皮膚」としての家、建築、というか、住処(すみか)。
知らぬが仏、でもあるのかもしれないけど、知っちゃったらどうにかしたい。どんな健康志向家も、もし普通の不動産の家を借りているならば、そういうことだ。
なんかつらいね。凹むね。たんが絡むし、胸がつまるんだよ。でもちゃんと世界を知るためならもうそれでもいいよ。「食べるためにはしかたない、と思う反面、でも本当にそうか?と思ったりする。長い道のりだよね」と言った親方の言葉を思い出す。ほんとうに長く複雑な道なんだと思う。「でもなおは、もうほんと、”へーこういうモルタルってやつが使われてるんやー”で、いいよ。」と言ってくれる親方の愛情に本当に感謝している。
私にしか描けない、理想の「つちの住処」を現実につくりたい。色んな人にこういう話をもっと聞いて感じたい。そして、第三の皮膚を変えると、身体はどう変わるか?どんな影響があるか?
小さな実験を地道にやっていこう、と決意を固くした一日だった。

ありがとう、おやかた!

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