記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ラストマイル 感想

がらくたMVを何回か見てからの映画鑑賞。

SNSでは、MVについて「マイノリティに向けての曲なのに、映像が直喩。男女関係に限ってる」みたいな投稿もいくつか見かけて、「そういう考えもあるのか、ふーーん」と思っていた。

映画を見てがらくたに対する印象がガラッと変わった。
MVでは最後に2人は救われている(仲直りする)ように見える。
映画では心を病んだ山崎がもう5年も植物状態となっている。
その姿を見てDAILY FASTにも取り合ってもらえなかった筧が思い詰めた行動を取る。

間に合わなかったこと、間に合ったことそれぞれの対比。
間に合わないことの方が多いのかもしれない。
それでも、何かできたことはあるのか、あったんじゃないかと思い悩んでしまうことが確かにある。

それでも流れてくる日常を乗り切らなければならない。
ふとした瞬間に躓いてどうしても上手くできないこともあって、立っていることがやっとだ、そんな空洞になってしまいそうな苦境もある。

そんな状況でも他者に頼れない。喉まで出かかった言葉が、発したいSOSがほんの少しのプライドのせいで、自尊心を守りたくて相談できない。
体は疲れていても、真夜中に覚醒してしまいしょうがないから寝床から這い出してどこへ行くでもなく歩いている夜。
ふと起きても巨大な社会システムは回っている。

長い夜を歩いていける、そんな歌があったら。歌じゃなくてもいい、失った夢も希望も、抱えている不幸も苦悩も和らげてくれるそんな支えが一つでもあったのなら。
そんな希望に辿り着けたのがMVであり、希望がスルスルと流れてしまった(そう見えた)のが「ラストマイル」だと思う。
そんなことを思った映画だった。

—ここからは感想ではなく個人的な話となります—



テレビやSNSで見る他人の鬱屈とした不幸話はちょっとしたものなんじゃないのか、そんなことを思えた過去が憎たらしい。
後から振り返ると自分の躓いた段差はちょっとしたものだったのかもしれない。
でもその時は苦境のことで頭がいっぱいで、がんじがらめで究極の二択しか残ってないように思ってしまう。
周りからは普通だと思われたい自分と、内心ではここからすぐに逃げ出してどこか遠くへ行ってしまいたい自分。その両方があって、自分をも騙して何とか乗り切っていたのに突然爆発してしまった。それが山崎ではないだろうか。
当然周りからは「なんで……」と言う声しか集まらない。
「もうちょっと早く相談してくれてたら」
「そんなに思い詰めているなんて知らなかった」
善か偽善か分からない言葉があるのはほんの数日で、社会の毎日はいつもと変わらず流れていく。
(映画で山崎が飛び降りた際、すぐ近くの所で人がいたのに飛び降りる直前まで何の意識が向かなかったのも、まさかこの人が飛び降りないだろうという「正常性バイアス」の一種なのかもしれない)

私にとって何かできたことはあるのか、あったんじゃないかと思い悩んでしまうことがある。

1人は同級生で、1人は元同僚。どちらも訃報を聞いた。
同僚は月1程度で仕事上のやり取りがあるだけで、直接顔を見たのは1度きりだった。
その時は顔の疲れ具合や手のしわから40歳くらいの方かと思っていたが、訃報を社内掲示板で知った時には2歳しか歳が変わらなかった。
訃報の通知を見て驚きを隠せなかったが、周囲は全く同じる様子がない。何事もなかったかのように業務も進んでいく。

「命って社会では軽いんだな」と感じた。自分が突然いなくなっても、その穴は自然と塞がれ何の変哲もなく流れていく。
息の詰まる環境で、ストレスで不調が続く中で泥水を啜りながら必死に働いても、社会は無常だと思ってしまった。

舟渡エレナは爆発した後、3か月の休職を経て復帰後すぐの仕事がセンター長だった。
今度は失敗できない。そんなプレッシャーで発した「止めませんよ、絶対」の決意。

そして事件に翻弄されながらもその真相を、事件による影響を目の当たりにしていく中で「やめましょうよ」とDAILY FASTからの出荷を完全停止する決断に至る覚悟は凄まじいものだったと思う。

エレナが何を感じ、何を考えていたのかは分からない。
だが映画のラストで安眠羊枕をシングルマザーの家庭へ届け、パトカーでつい眠ってしまう彼女の姿はどこか晴れやかだった。

最後にこの短歌で締めくくりたいと思う。

どの道を選んでいても不安という悪魔にあうの?なんだ、よかった /岡本真帆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?