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差別と区別の境界

YouTubeのコメント欄などでよく「これは差別ではなく区別」という旨の主張を見かける。では差別と区別は具体的にどう違うのだろうか?例を挙げて考えてみる。

差別の例
・人種を理由に店への入店を拒否すること。
・女性であることを理由に会社での昇進の機会を奪うこと。
・特定の宗教の信仰を不当に弾圧すること。

区別の例
・企業が学歴フィルターを設けること。
・在日外国人に日本人向けの給付金を支払わないこと。

これらの例から鑑みるに違いは、目的が合理的な理由であれば「区別」、そうでなければ「差別」に当たると思われる。
では「一定年齢以上の老人から選挙権を剥奪すること」は差別と区別のどちらだろうか?

ある人にとっては「民主主義の日本において、特定の条件の者の権利を奪うことは合理的ではない。よって差別である。」と考えるだろうし、反対に「老人は若者より判断力に劣る傾向が強い。そのため合理性は充分にあり、選挙権の剥奪は区別である。仮にそれが差別に当たるなら、18歳未満にも選挙権を付与するべきである。」という考える者もいるだろう。余談だがおいらの思想は後者だ。

つまり一言に「合理性」といっても、それは各個人によって変化することであり、誰かが合理性があると考えても、他の誰かからすれば合理性がない、或いは足りなかったりもする。何故なら物事を見る視点によって合理性は変化するからだ。

よって区別と差別の違いを明確に分類することは極めて不可能に近い場合がある。(もちろん、明らかに区別ではなく差別に当たる場合もあるが)

それを無視してそれは「区別だ」「差別だ」と揉めることは非常に愚かなことではないだろうか。それよりは、その基準になり、各個人の考える根本的な「合理性」について話し合った方が余程有意義なことに思える。

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