堯舜の治?

勝海舟が横井小楠相手に合衆国の政体を解説すると、小楠は「ハハァ、堯舜の政治ですナ」と、一を聞いて十を知る調子で言つたといふ(『海舟座談』)。

小楠はどうして合衆国の政体を堯舜の治と見做したのだらう。

堯舜の治といへば鼓腹撃壌、誰が為政者だらうと関係ないと歌ふ、といふ話が想起される。しかし合衆国では大衆が選挙で大統領を選ぶのだから、その政治が鼓腹撃壌だといふことはなからう。それとも血筋によらない政権の継承といふ点から、堯は舜に讓り、舜は禹に譲つた故事でも連想したのか。どうもよくわからない。

それから百五十年ばかり経つて、合衆国市民の政治参加は片やBLM、片や議事堂乱入、左右どちらを見ても堯舜の治とは似ても似つかぬものになり了つた。

さて堯舜の後裔が暮す中華人民共和国では、政治的言論も行動も厳しく抑圧され、共産党独裁への批判を許さない。人民中国を理想の民主国家と認定する人はあるまい。

しかし政治向きのことにさへ口をつぐんでをれば、食ふに困らぬどころか、金儲けに事を缺かない。実業のことばかりでなく、人文学の研究費なども湯水の如く支給されてゐるやうだ。だから人人も、強ひ問はれて習主席への感謝を述べる以外は、口をつぐんで何も言はない。

帝がどうであらうと関係ないと歌ふのと、帝への文句さへ言はなければ生活には困らないやうにしてやるのと、心理的ベクトルは正反対だが、鼓腹撃壌、堯舜の治が成立してゐるのだと見ることも不可能ではない。

中華王朝史の通例だと権力の強化は富の偏在を招き、疲弊した人民が新興宗教のもとに組織化されて王朝を倒す。しかし歴代王朝と違つて唯物史観を知る中国共産党王朝は、案外前轍を踏むことなく繁栄を継続するかもしれない。人権問題民族問題が足を掬ふかとも見えるが、人口において圧倒的多数を占める漢民族を飢ゑさせない限り、国際社会からどう言はれても頑なに耐へ続けさうな気がする。

さきの合衆国大統領選挙によつて民主主義のだらしなさが露呈した。それと対比するとき、人民中国の繁栄が、西洋民主主義に対する重大な揺さぶりになるのではないかと危惧する。ギリシア哲学とキリスト教とを基盤としなくとも、すなはち平等な万人による政治参加が無くとも、民衆は幸福になり得るのではありませんか、と問はれたとき、民主国家側は民衆の政治参加こそが必要だといふ説得力ある答を出し得るだらうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?