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6月13日 第十三寄港地 ジャマイカ

 今日、船は南米エリア第一の国、ジャマイカの港に停泊した。
 美しい海と、輝く青い空、豊かな緑の大地を見ていると、冒険心がくすぐられる。
 冒険が始まる予感に胸が自然と高鳴る。ああ、俺はこういう世界を歩きたかったんだ。狭い日本ではまず味わえないような美しい世界を!!
 ああ、飛び出したい。今すぐ海に飛び込みたい!!いっそ、船を降りて永住しちまおうか。
 と、パスポートを海に投げ捨てる寸前で、俺は我に帰った。
 いけないいけない。物事の良い部分だけを見ようとするのは、俺の悪い癖だ。この国の悪い部分もしっかりと受け入れなくては。
 俺はかぶりをふりつつ、前日の説明会で運営スタッフが語った内容を思い出した。
「南米エリアは危険だ。とても危険だ」と。
 曰く、スリ、置き引きが多発していて、過去に世界一周に参加したダンサーが五、六人の男に囲まれてパンツ一枚になるまで身ぐるみをはがされたとか。
 曰く、日本人目当てのヤクの売人が沢山いて、日本語で気を引いてから薬物を売りつけようとするのだとか。
 曰く、銃器を保有する輩がいて、ジャマイカの都心部に行けば銃による脅迫は日常茶飯事であるとか!!
 運営スタッフは言った。このジャマイカに「絶対に安全な場所」は存在しないのだと。
 危険度はアメリカ以上。既に十カ国以上を訪れて旅に慣れた俺たちだが、ここでつまらない油断をすれば、日本に帰る前にあの世行きというわけだ。
 背筋が寒くなるような感覚をグッと堪えると俺は船室へと戻って行った。
 そんなわけで 朝八時四十五分。
 俺は、船の7階にある集合場所へとやってきた。
 今回、船室の仲間たちはそれぞれ別のグループと組んで出かけてしまうので、俺は顔馴染みのグループに合流させてもらうことにしたのだ。
 はめ殺しの窓から覗く海を楽しみながら通路を歩くと、女性の背中が見えてきた。
 上陸許可が降りて、人気の少なくなった船内で一人佇んでいる。間違いない。今回の道づれだ。
「やあ。」
 俺が、声をかけると、
「あ!!鯛じゃん!!おはよっ」
 彼女は笑顔で挨拶を返してくれた。
 AG(えいじー)
 船の中で知り合った数少ない女性の友人だ。性格は明るく常に笑顔を絶やさないノリのいい性格をしている。え、名前の意味?言えないよ。もし本人がこれを読んでたら俺が殺されちゃうからね!!
「鯛、くるの早かったね」
「……ああ、グループに混ぜてもらう立場だろ?遅れたら失礼じゃん」
「そだねー」
「お二人さんはまだか?」
「もうちょいしたらくると思うよー。ジャマイカ、楽しみだねえ」
 こんな会話ができる程度に、AGとは知り合っている間柄だった。
 変鯛の俺には貴重な関係であった。
 若い連中のグループに入るノリや気力があるわけでもなく、かといっておじいさんおばあさんと仲良くツアーに参加する金があるわけでもない。
 この世界一周の船には老肉男女多種多様な人間が1000人近く乗り込んでいるわけだが、意識してしっかり付き合わないと疎遠になってしまうのは、陸での人間関係となんら変わるところはない。
 実際、世界一周の参加者の中では、船室の同居人と折り合いがつかなかったり、仲間を作れなかったりで、楽しみを見出すことができずに途中下船してしまう者もいた。船という逃げ場のない場所であるからこそ、そのストレスは計り知れないのだ。
 人付き合いというものが苦手で単独行動をとりがちな俺は、あわやぼっちになりかけたところを部屋のメンツに声をかけられ今日回る4人が所属する船内グループの仲間に入れてもらったのである。
 この繋がりには今でも感謝している。真夜中に二段ベッドの下から不自然な揺れがする現象とイーブンにしても……いや、やっぱそれはナシで。
 俺とAGが立ち話をすること10分。男女二人が連れ立ってこちらに歩いてくるのが見えた。見りゃ分かる。あれは男女の仲の距離感だ。そして、俺たちの待ち人だ。
「オッスお待たせ」 
「おう、待ってたぜえ」
 男に挨拶を返すと、男は俺に屈託のない笑みを浮かべた。
 彼の名前は狐。このグループの中核の一人だ。
 沖縄出身で島唄を歌わせれば右に出る者はいない。いい体つきの男だ。
 「うふふ。AGもいるのね。これで全員揃ったわ」
と、狐の横でそう言ったのはため息の漏れそうなの美人だ。
 彼女の名前は、大女優。
 そう。誰がなんと言おうと、少なくとも俺の中では、「大女優」だ。
 天海祐希にどこか似ているのは、そのスラリとした体系と濃いメイクによるものだろうか。英語が堪能で船内でも人気があり、強気な性格の彼女は俺とは最も縁遠い生き物のはずなのだが、気づけば狐の彼女としての立場を手に入れ同じグループの一員として肩を並べていた。狭い船内ならではの現象とも言える。
「あら、鯛。アタシの顔に何かついてるかしら」
「ん、あー。今日も綺麗だな」
「うふふ。ありがとう」
……まあ、こーいうやつだ。狐の奴は付き合ってて疲れないのだろうか。まあ、そーいう狐の包容力が大女優のようなエリートや変鯛の俺やナウいギャルのAGを共存させているのだろう。
 俺と大女優のやりとりを笑顔で見ていた狐が口を開いた。
「さて、みんな。水着は持ったな?」
「ああ」
「お金は持ったかしら?」
「うん、持ったよ」
「じゃあ、出発だな」
 狐の言葉に俺たちはうなずき、船の出入り口へと歩いていった。
 
〜〜
 
ジャマイカの熱気が肌を焼く。気温は三十度。一足早く夏の気分だ。
「いやー、沖縄みたいに暑くてやだわー」
「そうね。湿気は嫌いだわ」
  狐と大女優はジャマイカの熱気に負けないほどの熱を放っていた。
いわゆるリア充オーラというやつである。二人肌を寄せ合いところ構わずくっつくことで、精神的な熱エネルギーを周囲に発散しているのだ。
 こうした船の中でできたカップルというのは、妙に距離が近い。世界一周の船旅が残り2ヶ月を切った今、船を降りたら破局しかねないこの関係を限界まで楽しもうという腹づもりだろうか。
 気持ちは分かる。続かない可能性があるのなら、今の状況を全力で楽しんだ方がいいに決まってる。
 ああ、正しい。君たちは正しいさ。でも、側から見ると恐ろしく気まずいんだよなあこれ!!!
 そんな気まずさを誤魔化しつつ、俺は3人と共に港に泊められた送迎バスに乗った。
 目指すは観光地の中心部。レストランや土産屋が何軒もあるメインスポットだ。
 後ろの席から放たれる甘いオーラから逃げるように景色を見ると、海に沿って作られた車道を挟んで反対側に、くすんだ白い街並みが見えた。
 歩道には等間隔で椰子の木が植えられ、浅黒い肌の人々が歩いている。クーラーボックスを抱えた男性を何人か見かけたが、中身はレモネードだろうか。バスの中からはよく見えない。
 海の横に作られた公園では元気に遊ぶ子供たちの姿も見え、まさに我々の想像するような南国のイメージを作り出していた。
 どうも船の中で聞いた危険なイメージと合致しない。危険な国だというのだから、目の虚なヤクチュクが彷徨いていたり、スリ軍団が町中を練り歩いてたりするものだと思っていたが、見る限り怪しい奴はいない。街は理想的な南国そのものだ。
 ギャップに戸惑う俺を乗せたバスは海沿いの道をさらに進み、そして街のど真ん中で止まった。
 運賃を支払い、バスから降りると目の前には、スターバックスとお土産さん。そして、青い海を遮るように建てられた壁の先にゲートが見えた。あれは、プライベートビーチの入り口らしい。
 大女優が得意の英語で情報収集を行ったところ、どうやらこの観光地には目の前のプライベートビーチの他にも少し離れた場所に一般開放されている無料のビーチがあるそうで、そちらは地元の人も遊びにきているとのこと。
 安全か。異文化交流か。リーダーである狐に3人の視線が集まる。
 「んー。まあ、買い物してから無料の方の海でええんやない?」
「そうしましょ」
と、大女優がうなずき、
「そうだねえ」
と、AGか笑い、
「……ああ。右に同じ!」
 3人の目線に促され、俺が答えた。
 こうして、俺たちは買い物をしつつ道を戻り、無料のビーチの方へ向かうことが決まった。
 俺たちと遊ばねえかー。と船から来た別グループの誘いを断りつつ、俺たちは無料のビーチを目指して歩きだした。
 途中で飲み物を買うために土産屋に入った。
 店内では、レゲエのミュージックが流れ、レゲエの神、ボブマーリーの歌声が聞こえてきた。大らかで開放感溢れるミュージックに、彼は何を託したのだろうか。あいにく音楽に疎い俺にはわからない。
 適当に土産を物色してみたものの、訳のわからない置物や首飾りに金を払う気にはならなかった。ましてやドレッドヘアーのヅラなど論外だ。無駄なものは買わない主義だからな。
 土産屋で水を買い、バスの通った道を戻るように歩く。たまにすれ違う同朋に手を振りながらさらに歩き、灰色の建物の脇を何件か通り過ぎると次は大きな建物が見えた。レストランが軒を連ねるちょっとした複合施設といったところか。
 その出入り口にはガイドに誘導される老人達の姿も見えた。見知った顔も何人かいる。
 ツアーの参加者はここで昼食を取るようだ。まあ、今回の俺には関係ないけれど。
 そう考えながら観察していると、そのレストランの方から、男が向かってきた。目線をこちらに合わせて白い歯を剥き出して、手を振りながら笑顔で近づいてくる。
 その両肩には、例のクーラーボックスがぶらさげられていた。どうやらこの中身を俺たちに売りたいらしい。
 「ハーイオニイサーン。コンニチハー」
意外。それは訛りこそあれど、男の口から飛び出たのは、きちんと伝わる日本語だった。
 「ニハンノヒトーヤサシイー。アナタトワタシ、トモダチネー」
ゆ、友好的だ。これが、南国特有のおおらかさだとでもいうのか。
 「オニイサーンとワタシートモダチートモダチーダカラー」
そう言って、男はクーラーボックスの蓋を開けると何かを取り出した。お、友好の証か?プレゼントなのか?
 目を見張る俺に対し、男は白い歯を剥き出して笑いながら……

 「ジャジャーン!!大麻、イリマセンカ!?」

 俺の目の前に、白い粉の入った袋を差し出した。
……。
 え?
 ……え!? 
 えええええええええええ!!!?
 空いた口が塞がらないとはまさにこのようなことを言うのだろう。
 このあまりにもショッキングな出来事に、俺は殴られたかのような衝撃を受けた。
 そう。クーラーボックスの中身は新鮮な大麻がぎっしり。なんと、街中で見かけたクーラーボックスをぶら下げた男たちは、全員観光客を狙った大麻の売人だったのだ。
 これには、俺も完璧に意表をつかれた。ヤクの売買ってもっとこう、路地裏でやるもんだろう?こんな天下の大通りでするもんじゃないだろう!?ギャップありまくりじゃないか!!?
 「オニイサーン。タイマー。オニイサーン。タイマー!?」
まくし立てる男に対し、
 「ノ、ノー」
俺は辛うじて、声を絞り出した。その時の俺にできた精一杯の拒絶だった。
 なおも大麻を売り込もうとする売人の男から視線を逸らすと、俺は側から笑顔で見守っていた狐たちの影に隠れるようにその場から離れた。
「いい経験したな」
「う、うっせえや」
 狐にそう返しつつ、俺たちは肩を並べ目的地目指して再び歩き出した。
 「ニホンジーントモダチー。タイマー!!」
「ハロージャパニーズ。トモダチー。タイマー!!!」
「ゲンキデスカー。タイマー!!」
路地や車道の向こうから、次々現れる売人たちをかわすのは、一苦労だった。


〜〜
  
  ヤクの売人が徘徊している大通りを逸れ、街を見て回ってから、俺たちは海の前にあるレストランに入った。
頼んだのはジャマイカの名物料理、ジャークチキン。辛さの効いた分厚いチキンの歯ごたえが癖になる。合わせて頼んだジャークポークも美味だった。
そうして腹ごしらえを済ますと、10分ほど歩いた先に、目的地の海が現れた。噂の無料ビーチだ。
 開け放された鉄柵を通り抜け、しばらく歩くと、白い砂浜の先に底が透けて見えるほど透明度な海が現れた。
「すげえな!?」
「だなあ……!!」
 狐の言葉に頷きながら、俺の視線はこの美しい海に釘付けになった。
  海中の魚や、海底に生えている海藻まではっきり見える海がこの世に実在するという事実にただただ驚いた。純粋な透明度で言えば、沖縄の海以上かもしれない。
「ほら鯛!!はやくきてー!!」
「ほいほい」
AGの言葉で我に帰ると、おれは急いでその後を追いかけた。途中で何人かの現地人を見かけ、海で泳ぐ彼らの姿を見た。無料開放というだけあって、彼らの憩いの場でもあるのだろう。
 彼らの興味ありげな視線を受けつつ、俺は大女優とAGに従って砂浜に面した木立の中に横たわる丸太に荷物を置くと、水着姿になった。
「あら、鯛。座り込んでどうしたの?」
「荷物番やるぜ。大女優は先に行ってきな」
「ほんとかしら〜」
「本当さ」
「ふぅん。別にいいけれど」
 大女優は納得したようで、AGと海の方へ歩いて行った。
 全くお気楽なものだ。俺は心でちょっぴり毒づいた。
 売人がうろついてるような治安の街で、見張りを立てずに財布やパスポートを置いていくのは、あまりにも無謀じゃないだろうか。
 ここは日本ではないのである。
 現にギリシャでは、音もなく忍び寄ってきたスリに鞄を漁られたこともあり、俺の警戒心は高まっていた。
「まあ、順番に泳げばいいもんな。お、ハローハロー」
 同じく荷物番を買って出た狐は、こちらに寄ってきた現地人と会話を楽しんでいる。わざわざ無料のビーチの方に来る俺たちは珍しいらしい。
「ハロー。チャイニーズ?」
「ノー。ジャパニーズ」
相手もそれなりに加減してくれているようで、なんとか言葉の意味が伝わってくる。
 船の従業員は全員外国人ということもあって英語で話す機会も多く、この頃にはなんとなく相手の言葉がわかるようになってきた。コツは簡単。聞こえてきた言葉を日本語に直さず、そのまま脳内で単語の意味を読み取ることだ。


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 「へえ。日本から来たの。遠いね。横の男の子は君の友達かな?」
「はい。そうなんです。かれこれ2ヶ月一緒に生活してるんですよ」
「そうなんだね。ハハハ。お友達にもこんにちは」
右手で男の挨拶に答える
「ハハハ。シャイボーイだね⭐️」
 う、うるせえやいっ!!
 そう内心毒づく俺を他所に、狐と浅黒い肌の男は談笑に花を咲かせていた。沖縄とジャマイカ。暖かい場所で育った者同士きっと気が合うのだろう。
 そして、男が満足げに去って行った頃。大女優とAGが戻ってきた。
「鯛。お待たせ。荷物番変わるよ」
「おうありがとうAG。ちょっくら泳いでくるべ」
「うん。きっと驚くと思うよ」
タオルにくるまったAGと荷物番を交代し、ついに俺はジャマイカの海に飛び込んだ。
 体がふわりと軽くなり、髪の毛がふわりと広がる。膝から下で軽く水面を叩く。
 水温は、悪くない。深さも浅すぎず、深すぎず、潜れば、果てまで見通すことができた。
 もっと深く潜ってみる。細かく白い砂が虹を描いて、おれのバタ足に合わせて水中で跳ねた。海藻の間からは色とりどりの魚が顔を出して、気まぐれに泳いでいた。
 いい場所に来れたな。素直にそう思えた。この景色は、どう頑張っても日本国内では見られないものだと、今でも断言できるほどに。
 堤防の方から飛び込み、海岸目指して全力で泳いだり、知ってる泳ぎ方を全て試してみる。もう2度と来れないかもしれない美しい海の思い出を、全身で記憶するように、俺は時間の許す限り泳ぎ続けた。
そうして、あっという間に時間が過ぎて帰りの時間がやってきた。
「さあ、そろそろ帰ろう」
狐の声に従い、大女優とAGが上着をはおり始める。
「鯛。着替えないのか」
「ああ」
俺は、不敵に笑うと
「ふんどしの可能性を見せてやるよ」
両手で、赤ふんどしを広げて見せた。
目を見開く狐の前で、おれはふんどしの紐を手早く結ぶ。そして、尻尾のように垂れ下がるふんどしの布部分を持つと、水着の尻側の方へ差し込んだ。
「ぐぬぬぬぬ」
 水着の中で布を股の間に通し、前側の紐に引っ掛ける。しっかり、形を整えて、
「そりゃああああああ!!!」
 力強く水着を降ろした。
「オーウ!!」
「オマイガー!!」
 遠目からこちらを見ていた現地人が悲鳴をあげる。
 見たか!!
 これぞ、ふんどしを履くものだけに許された 秘技、「ふんどし早着替え」だ。ジャマイカの夕日に負けないふんどしの赤い布地を晒し、俺は得意げに笑みを浮かべた。
 当然女性陣からは冷たい視線が突き刺さったが、俺は気にしなかった。
帰りにタクシーを捕まえて、俺たちは仲良く船へと帰ったのだった。
 


そうして、ジャマイカ一日目の旅は終わった。
海が良かった。海が良かった。ああ、海が良かったとも。
もう、小麦粉が大麻にしか見えなくなったんだけどね!!!


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