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キスカで起きた奇跡

1943年7月29日
キスカ島の撤収作戦が行われました。

キスカ島は前年6月に行われたミッドウェー島の攻略作戦を支援するべく実施されたアッツ島の攻略作戦により日本の支配下に置かれました。

しかしミッドウェー沖海戦で日本の主力空母である赤城、加賀、飛龍、蒼龍の4隻を失う大敗北
戦艦大和も主力艦隊旗艦として参加するも空母機動部隊のはるか後方にいた為、なす術なく引き返す事になります。
アッツ島、キスカ島は元々重要視されていなかった為、最低限の守備隊しかいない状況でしたがアメリカとしてはこんな本土近くに日本軍がいることは士気に大きく影響するため本腰いれて攻撃
結果アッツ島は玉砕、守備隊が全滅してしまいます。
これによりキスカ島はアメリカに奪還されたアッツ島と航空基地があるアムチトカ島に挟まれてしまいます。

地理的に補給や増援を望めないキスカ島守備隊に残された選択肢は玉砕か降伏か
日本軍はこの状況を受けアリューシャン地域を放棄、まだアメリカ軍が上陸していないキスカ島守備隊の撤収が決まります。

当初は幌筵島にいる北方部隊である第五艦隊所属の潜水艦による撤収が開始されるも、米駆逐艦などに攻撃されるなど作戦続行が困難となっため水上艦艇による撤収作戦に移ります。

水上艦艇となると水雷戦隊を構成する軽巡洋艦と駆逐艦が向きますが、アリューシャン列島周辺にはアメリカ海軍の戦艦を含む艦隊がいたため、万が一戦闘になれば不利は必至
そこでアリューシャン列島でよく発生する濃い霧に紛れて行動することになります。

指揮するのは木村昌福少将。太平洋戦争開戦時には重巡洋艦鈴谷の艦長を勤めていた現場叩き上げの司令官でキスカ撤収作戦以降にも不利な状況で行われた作戦を成功に導いており、知名度は低いですが日米共に知る人ぞ知る名将として知られています。

木村少将は作戦を成功させるためには2つの要素が必要としました。
1:視界ゼロに近い濃霧がキスカ島の周辺に発生している
2:日本側の艦隊にレーダーを装備した艦艇がいること
1に関しては霧が出ていれば当時の航空機が攻撃を仕掛けることができないから
2は視界ゼロに近い霧が立ち込めていると敵艦の発見が遅れる為、レーダー装備の艦艇が必至でした。
この頃の日本海軍艦艇でレーダーを装備しているのは少ない状況でしたが、ちょうど最初から装備している竣工して間もない新型駆逐艦島風が参加する事でクリアしました。

キスカ島に向かう艦隊は旗艦の軽巡洋艦阿武隈以下、軽巡洋艦木曽、駆逐艦夕雲、風雲、秋雲、朝雲、薄雲、響、島風、五月雨、長波、若葉、初霜、海防艦国後などで構成
守備隊を一度に収容して撤収するため方々から駆逐艦が集められました。

最初の決行日は7月10日でしたが、この時必須条件1の霧が晴れてきてしまいます。
自分たちを待つ守備隊がいるキスカ島は近い
強行突入止むなしの空気が蔓延していく
しかし木村少将は「帰ればまた来る事ができる」と撤退を決断。

手ぶらで帰投したことに軍令部をはじめ各方面から厳しい批判を受けますが、木村少将は意に介さず、阿武隈で釣りをしながら霧の発生を待ちます。
想いは通じ、幌筵島の気象台が霧が25日以降にキスカ島周辺に必ず霧が発生すると予報を出した事で艦隊は再出撃
予報通り霧が立ち込めてくる。途中、阿武隈と国後が衝突するなど数隻が引き返す羽目になるアクシデントもあり
敵艦と思って攻撃したら島だったなど作戦実行するに申し分ない濃霧が立ち込めていました。

そしてついにその時7月29日、キスカの奇跡が訪れます。
艦隊は敵艦隊との遭遇を避けて真っ直ぐ湾を目指さずに島の西側から島影沿って進んだ艦隊は昼の12時に湾に突入、13時40分に投錨
素早く守備隊を収容すると艦隊は全速力でキスカ島を後にします。
投錨してから島を後にするまであれだけ濃く立ち込めていた霧が晴れていた事も素早い撤退に繋がったため、キスカ島守備隊は玉砕したアッツ島の守備隊が守ってくれたと涙したと聞いています。

アメリカ軍側は木村艦隊がキスカ島を目指す道中にミシシッピーとアイダホの戦艦2隻を中心とした艦隊を展開していましが
濃霧に現れた存在しない幻の艦隊相手に攻撃し、弾薬や燃料が減っていた事から補給の為に帰投してしまいます。
そして7月30日には艦砲射撃と空襲でキスカ島を攻撃して上陸。まさか前日に撤収が完了しているなんて知らない為、上陸部隊は同志撃ちを繰り返しながら島中をくまなく探しますが、見つけたのは残された犬2匹のみでした。

この時、後に日本学者として知られるドナルド・キーン先生が語学将校として上陸部隊に同行
上陸してくるアメリカ軍のために用意されていた「ペスト患者収容所」(嘘)や星条旗で作られた座布団が並ぶ地下司令部の黒板に書かれた「お前たちはルーズベルトの馬鹿げた命令に踊らされている!」と言うメッセージなど置き土産を発見し翻訳したと言うエピソードも残っています。
またキスカ島守備隊が撃墜した米軍爆撃機のパイロット達の遺体が丁重に葬られており、墓碑には英語で「祖国のため青春と幸せを失った空の勇士ここに眠る。7月25日 日本陸軍」と書かれていたそうです。

この作戦を題材にした映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」
映画的演出やオリジナル要素もありますがおすすめの作品です。
艦隊の航行シーンは円谷英二監督の特撮
なにより日本の戦争映画としては珍しく、作戦成功と言う勝利で終わるのも良いポイントです。
機会があればぜひ

キスカ島撤収作戦、並びにアッツ島で玉砕された関係者の皆様のご冥福を祈ります。

2024年7月31日執筆

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