4/17 「インターネットに怒りをぶつけた数だけ、自分と向き合う機会を失いつづける。」
自分の「淀んだ部分」と向き合うには、なにかしらの外的な動機がいる。それをやらないと、苦しくて堪らないとか。怒りの行き場がなくて、もうやるしかない、っていう状況とか。そういう、強制力の重要性と、あるいはそれを取り戻す必要性について。
わたしはインターネットに向けて感情的になっているひとを見るのが好きだ。あまりにも好きすぎて、そのことについてはちょっとした権威である。どのくらい好きかというと、インターネットに向けて感情的になっているひとを見つけると、ついつい性的な興奮を催してしまうほどである。
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