徴候・記憶・外傷
徴候・記憶・外傷
中井久夫
みすず書房
2004年
どこかで中井久夫さんという精神科医の方が「微分知」について語っているという話を聞き手にとった。正直理解できているかというと微妙だし、すべてを読んではいない。でも、最初にある「世界における索引と徴候」という文章は、ものづくりする人におすすめしたいな、と思い紹介することにした。
理解が合ってるかどうかわからないが、微分知は言葉のとおり、ある曲線における任意の点の接戦をもとめるような感覚に近いのだと思っている。
最近はできていないが、岩石集めを熱心にしていた時期がある。粘土を扱う仕事をしているのに、粘土がどうやって生まれたのかを知らないことに愕然としたからだ。知りたい一心で地質学を独学で勉強していく中で、実際に岩石集めもした。そんな岩石集めをしばらくやっていて、ある時まったく知らない土地のダム湖に行ったとき、ふと見上げた岩山を見て「あそこで水晶のクラスタが出るような気がする」という根拠のない直観がささやいた時があった。行って採集すると、小さいけれど水晶のクラスタがあった。
経験的に得た知識が、ある自然という徴候に接したとき僕はそこに微分知を働かせ水晶を見つけるに至ったのだろう。よくいう「職人の勘」みたいなものだと思う。
そうおもうと職人と芸術家の違いはここにあるんだろうなとも思う。
職人は徴候に接し、微分知を働かせ作品を作る。
芸術家は徴候そのものを作る。
だから、芸術は理解しようとしても理解ができない。だって、自然そのものだから。
と、だいぶ遠回りしてしまったけど、読めば読むほどこんなふうに深みにはまっていく。
「どゆこと?」と思ったなら読んでみたら良い。
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