見出し画像

圧の高い「アーティスト」と「作品」はもう、求められていない

威張るクリエイティヴは完全に、時代に捨てられた。
このトピックでは、いまアーティストが理解せねばならない「現代感覚」を、知ることができる。今より未来でも創作を続けたいアーティストの、ために書く。

--------------------------------------------------------------------------
アーティスト情報局:太一監督
×
日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
--------------------------------------------------------------------------

『 客観視して社会を学ぶと、間違える 』

観察のプロでは無く「創るプロ」ならば、知ったかぶりは見苦しい。
では、時代を捉えている「創るプロ」たちの特徴を観てみよう。

一挙手一投足に目が覚める、彼らに共通する特徴は、

  ① 正直
  ② 逃げない
  ③ 捨てる

この3つに集約されている。

このことに気付かないまま、過去のクリエイティヴを“感覚的に”続けている創作者たちは、ただの“セルフリメイク”状態。そんな時代遅れの不勉強に限って、多作だ。しっかり勉強していないために、暇なのだろう。
まるで、過去から転生した量産型だ。

『 時代遅れの高圧、とは 』

YouTuberを馬鹿にする映画人は、気をつけた方がいい。過去のルールを盲信して“感覚主義”を生きている映画人に対し、現代のクリエイターたちは、日々強大なコミュニティからの直接評価に晒されながら、日に8時間もの膨大な勉強をUpdateしつつ敢えて、“脱力系ジャンル”を選んでいるのだ。

一方で旧来の連中は、
テーマも深掘りしないままに撮影日を迎えた“けだるさ芝居”の高画質素材に、ただ彩度を低くしたローキーな画をスローで繋いで細いフォントをFADEしながらストリングスのインストを敷くような、「素敵風虚無映像」を垂れ流してド滑っている。価値など、ゼロだ。国際映画界における日本映画業界には、マイナスだ。

と、こういう語りを、「時代遅れの高圧」という。

詳しくは、後述するとして、
日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ジェームズ キャメロン監督、撮影現場での横暴な振る舞いを後悔「ロン ハワード監督になりたい」

ジェームズ キャメロン監督が、撮影現場での振る舞いについて語った。「もっと耳を傾けて、独裁的にはならずに済んだはずなんだ。"クルーの人間関係”よりも映画を重要視しないようにできたはずだからね」

映画「タイタニック」や「アバター」の監督が、撮影現場で自分のことを「独裁者」と呼び、自分がロン ハワードのような素敵な監督だったらよかったのに、と告白していることが大きな話題になっている。キャメロン監督は、長年にわたり、撮影現場で威圧的な態度をとるという評判だったが、本人は、自分のことを要求が多く、決して残酷ではないと考えているようだ。

「自分のキャリアに戻って一つだけ違うことができるとしたら、それはキャストやスタッフとの仕事上の関係のあり方を改善することだ」

キャメロンの横暴な振る舞いを示す話は、これまでにも数え切れないほどだ。ニューヨーク タイムズ紙の「アビス」に関する記事では、エド ハリスが「映画の肉体的な苦痛とキャメロン氏の独裁的なやり方に怒り、映画の販売に協力するのを拒否すると言った」と伝えている。

ジェームズ キャメロン監督は、「理想的な監督は、公認のナイスガイである“ロン ハワード”だ」と語り続けた。

キャメロンは、ハワード監督のセットを訪れたことがあり、ハワード監督がどれだけ時間をかけてセット内の人々を褒めているかに「唖然とした」と語っている。「今でも自分の中で、“ロン ハワード”になろうとしている」と付け加えた。"キャメロンはここ数年、「アバター」の続編に取り組んでいる。 
- JUN 25, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

ジェームズ キャメロン監督が、「傲慢だったマジごめん! あぁスタッフに愛されるロン ハワード監督になりたい」という記事。

傲慢で不機嫌を隠さず、スタッフ個人を皆の前で責めるジェームズ キャメロン監督の演出術、じつは北米において、とても珍しい。“怖い監督や俳優”の話を聞くことはあるが実際には、「ちょっと不機嫌そうだった、かな?」程度だ。そんな中にあってのキャメロン監督は“技術マニア”でもあり、撮影現場ではむしろ、技術スタッフのリーダーに近いのだ。

しっかりと完成映画で成果を上げている彼は、嫌われてなど、いない。予算を使いすぎる彼を恐れているのは、スタジオだけだ。現在ジェームズ キャメロン監督を支えているのは、中国資本だ。

では、“時代を捉えている「創るプロ」たちの特徴”を回収しよう。

『 ① 正直:について 』

少し前のプレゼンテーション ブームを最期に終わった“格好つけ文化”、その後の現在は、「正直主義」だといえる。完成度の高い虚飾はもう、通用しない。ダサくても、正直な態度で、背伸びしていない作品が、共鳴力を持っている。

ブランドの選抜が、行われているわけだ。すべては本質勝負。どれだけ無理しても、“アーティスト自身”以上のクリエイティヴは、認められない。

一方で、“等身大”という言葉で親しみを演じる「偽正直」は、怒りを呼ぶので注意したい。

『 ② 逃げない:について 』

業界を形成していた企業が死活問題に直面している現在、アーティストが業界に依存できた時代は去った。つまり、“自己責任時代”の到来である。作品への批判はそのまま、SNSで届く。経済的な責務も、アーティスト管轄だ。

創作活動の専門家だったアーティスト本人の、マーケティングの知見がためされている。手探りなど通用しない。「芸術家がビジネスを語るなんて――」などと嘯いても無駄だ。古来より芸術家は、経済のプロだった。

ただし、自費で制作するインディペンデントは、裸の王様になりがちだ。ジジイの妄言など求められていないことに、留意したい。

『 ③ 捨てる:について 』

過去の栄光も、業界ルールも、プライドも技術も、捨てる時代。過去がなに一つ通用しないのが、パンデミック後の現在である。人類は初めて、「歴史に学んでも無駄」な時代を生きている。過去は、再現性の無いファンタジーに成り下がった。

ビッグデータ以外の“過去情報”に依存せず、「現在」という点を集めて、線という「ストーリー」を描く能力こそが、現代のクリエイティビティである。その中で、“偏愛”を貫いたニッチな視点を価値化できる人物を、アーティストと呼ぶ時代になっている。

『 編集後記:』

人々が日常的に観ているのは自爆テロのように“高圧”な、監督が人生を賭した映画ではなく、YouTubeの撮って出しの“楽なコンテンツ”なのではないのか。YouTuberなどの、いわゆる“創るプロではない”クリエイターは、“社会”の中にいる。

アーティストの住処は、居留地だ。誇りを胸にちゃんと、“立派な社会人のふりをしない”ところから生きはじめたい。

力んでいないふりを隠すよりは諦めがつくまで闘い抜く、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記