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【都合の壁】業界に棲む企業、コミュニティに生きるアーティスト

都合がいいから、企業は“業界”という形式を好む。一方で著名なアーティストたちは自らのコミュニティを基軸に活動しはじめている。このトピックでは、「アーティストにとって有益な活動拠点」を、知ることができる。現在の地位がそれまでの惰性によって形成されている受け身型アーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 作品と同じカロリーで、コミュニティを形成する 』

作品とアーティストは、“見合う場所”に存在してこそ意義がある。

当たり前のように聞こえるが実のところ多くのアーティストが、その活動場所を“惰性”で決定している。住み慣れた街、荷物の多い部屋、友人の多い環境、護るべき人との共同空間、それが「作品」と「アーティスト性」に相応しい場所だという可能性は、果てしなく低い。「でも、しかたがない。」という考え方がある、そして「だから今までと変わらない毎日が続く」とも判断できる。

国際的に成功しているアーティストは軽々と、住居と生活様式を変える。国を変えることにも躊躇いがない。それは選択に足る資金力と自在な時間を得ているから、だと言い訳することもできるしかし、その圧倒的多数がまるでノマドのように生きている現状を目の当たりにすれば、意識も変わる。

アーティストが安住する代表的な場所に、「業界」がある。しかし、ここ「アーティスト情報局」の読者には常識的なとおりに業界とは、“企業”が形成している“アーティスト用施設”である。善いとも悪いとも評価する必要はなくただ、“アーティストが創った場所ではない”という認識が重要だ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ディズニーとNETFLIXがオリジナル戦略と多様性について語る

エディンバラTVフェスティバルの初日では、オリジナルコンテンツとダイバーシティが注目され、NETFLIXとディズニーの幹部がそれぞれの戦略について語った。ロンドンを拠点とするオリジナルコンテンツ担当VPであるLiam Keelan氏が語った。

Netflixは、同社の多様性の推進について語った。オリジナルシリーズ担当副社長のAnne Mensahと機能担当ディレクターのFiona Lampteyは、彼らの戦略は「語る」よりも「見せる」ことに重点を置いていると述べた。

Mensahが語る。「世間ではあまり注目されていませんが、私たちが積極的に取り組んでいるのは、クリエーターの多様性を確保することです」また、NETFLIXは英国の有名コンテンツ制作者との契約を視野に入れているのかとの質問に対し、才能を「ひったくる」ような戦略はとっていないと答えている。

NETFLIXが業界の伝統的なプレーヤーを脅かす存在であるという認識についても質問された。「我々は公共放送とも、多くの共同制作を行っています。たとえばBBCは今、絶好調です。私は彼らの番組が大好きです。」

それなのになぜ同社は、BBCと仕事をしないのだろうか。

「我々はその国の風景を大切にすしています。強力なコミッショニングチームをその国内に作るために。」と付け加えた。 - AUGUST 23, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

NETFLIXとディズニーの幹部が、とても綺麗な話をした、という記事。

そして、アーティストのフィルターを通せばその中には、恐ろしい実態が蠢いている事実もあり。たとえば「NETFLIXとディズニー」という両者、“ストリーミング”のプラットフォームを主軸としつつ、「物販販路」と「作品数」でそれぞれに勝敗が別れるゴリゴリのライバルである。

たとえば「“語る”よりも“見せる”ことに重点を置いている」とは、“語らうコミュニティ”を遠ざけて企業にファンを獲得したい同社姿勢の表れだ。

たとえば「ひったくらない」というメッセージの裏で、独占契約を爆増させている事実は変わらないたとえば「“国の風景”をまもり“ローカルチームを編成”」とは、“現地雇用”で“現地マーケットを確保”という、古典業者の王道手法だ。

しかし、一般人たちは誰も騒がない。当然である。
ターゲットになっているのは、「業界(企業)」と「業界内のアーティスト」。衰弱していた企業にとっては渡りに船であり、好機でしかない。

アーティストはいま、知らねばならない。

『 アーティストの利とは 』

作品が正当に、評価されることだろう。
“評価される”という受動的な状況こそが時代遅れなのだがそれ以前に、「作品評価」が高まらねばそもそもに、アーティストの地位が上がらない。

アーティストは作品製作のみならず、「地位」を確立する努力をすべきである。その地位とは、“業界内の相対評価”ではなく、世間での「絶対評価」でなければ効果が無い。わかっている、アーティストにとって最も苦手なのが“世間”へのアプローチであることは。だが、“世間を創る”ことは可能なのだ。それを、「コミュニティ」という。

『 受け身より中身 』

業界ルールはもう、通用しないしかし文化を継承する以上に、「マナー」は絶対である。だからこそ、時代に流される受け身のままに“活動領域”を制限している場合ではない。“業界”というシステムは“仕組み”であるので、“例外”を許容できない。

しかし現代が求めているのは“異例”である。シリコンバレーや深センですら“遅い”と揶揄されている現代スピードに対応できる方法はただ一つ、“コミュニティ”を生きることである。可能であれば創設し、不可能ならば自身に相応しい複数に籍を置きしかし「マナー」を忘れず、徹底した“最先端情報のアップデート”を続けながら、作品と同じ熱量で自身の「アーティスト性」を磨き上げることだ。

必須なのはひとつだけ、勝つ者の条件でもある。
護るものを処分し続けて身軽になり、「作品に最適化した活動拠点に移動」することだ。必ず、できる。

コミュニティに生きるアーティストに求められているのは、「正直な中身」である。頂点に君臨する成功者たちが正直なのには、理由がある。

『 編集後記:』

パンを焼く。
楽しくなってしまえばそれは“趣味”なのでアーティストとして避けねばならないが、“パン”は許容している。中力粉とドライイーストを用いたシンプルなものを一次発酵からそのまま整形して焼くだけだ。

わたしはいつ何時でもパンを焼ける、というスキルを身につけた結果、なんだかとても強くなった気がしている。パンを焼くためだけにソロキャンに出てしまいそうな勢いである。燃焼材無しに火もおこせるし水も集められるしナイフも創れる、釜も小屋も造れところまで想像した辺りで完全に“趣味”だと気付き、ギリ堪える。

アーティスト性に溺れる深夜の果てに一般人の多様性に臆する朝にも、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記