見出し画像

【臆さず媚びず踊らず】アーティストの個展を開催してみる、ということ

「個展」それはアーティストにとって夢のひとつでもある。独りの女性アーティストがこのチャンスを手に入れ、その現実を目の当たりにしている。このトピックでは、「個展の正体」を、知ることができる。誰かが設計した企画やイベントましてやプラットフォームやインフラに便乗しただけで作品を発表した気になっているどこかのアーティストの、ために書く。

--------------------------------------------------------------------------
アーティスト情報局:太一監督
×
日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
--------------------------------------------------------------------------

『 アーティストの個展を開催してみる、ということ 』

個展を開催した。
「GOZ」こと、“アニメーター郷津春奈”さんを信じたためだ。

覚悟ある彼女は、自らの名で作品を発表することを恐れずまた、多種多様な多くの来場者に対しても臆さず、媚びず、対応を続けてる。実にみごとだ。まだ始まって5日目を迎えるタイミングではあるが、GINZAという街の熱を演出することに成功している。残すところ11日間。ハイソな街の上質な時間は日に日に濃密さを増している。彼女は現実を見誤らず、持ちこたえるだろうか。楽観はできない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ハリウッドが若いアーティストの絵画を買い占めている

ギャラリストのサラ グリフィンは、2019年にビバリーヒルズで小旅行をした際にアーティストのコリー ペンバートンを発見した経緯を思い出す。その日の彼女の外出は、サンタモニカ大通り沿いのビバリーガーデンズパークで毎年開催されている「ビバリーヒルズ アートショー」に家族で訪れた。この展示会は、主にデコラティブなアーティストを対象としており、グリフィンは有望な新人に出会えるとは思っていなかった。

グリフィンは、ビジネスパートナーのトリシア ビーナムとともに、ロサンゼルスに1年前からあるギャラリー「UNREPD」を共同設立している。

ペンバートンは、それまでガラス職人として美術界で成功を収めていた。しかし、彼には完成した一連の新しいマルチメディアの具象画があり、それをフェアに持ち込むことで挑戦してみようと考えた。「私が初めてここに来たとき、アートシーンは入り込めないものではなく、自分の入口がどこにあるのかわからないものでした。しかし、私はこのアートフェアのシーンをよく知っていました。私はサラに出会いました。それは、私のキャリアにとって最高の出来事でした」

サラが語る。「ペンバートンとは、被写体と同じように複雑で、理解するのに時間がかかる価値のあるものです。遠くから見ていても引き込まれます。何を見ているのか気になるような瞬間を味わってもらいたいのです」

ペンバートンが語る。「ノースカロライナで作品を制作していたときは、真っ白でありきたりな空間で作品を発表していました。私は小さな町に住んでいて、唯一の有色人種、唯一の同性愛者であることに飽き飽きしていたので、何か根本的に違うことをしたかったのです。今、私の作品は私に似た人たちの家に置かれています」。 - OCTOBER 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

成功したアーティストも他の表現方法では難航するしかし、理解あるキュレーターと出逢えばアーティストの作品は“目的の場所”に届く、という記事。

アーティストは創作人生のうちの僅か5年の黄金期のために、生きている。それを“ホットストリーク”といい、それ以上長く黄金期が続くことがあり得ないことは数字が証明している。

そのホットストリークを“いつに設定するか”で、アーティスト人生の価値が決定されることとなる。アーティストはチャンスと目的のバランスの中で見誤らず、使命を選ばねばならない。間違えれば二度と、以前の位置には戻れない。

『 個展会場、という試練 』

そこには、多種多様な人々が集う。当然に、興味のない人が紛れ込むことは多くないつまりが“ホーム”なわけだ。誰もが作品を褒め、アーティストとの対面を喜び、サインや記念写真を欲しがる。アーティストが語るエピソードに瞳を輝かせ時には、作品を買い求める。

だがそれを、アーティストや作品への賞賛だと勘違いしてはいけない。来客の態度には“マナー”が含まれており、銀座という街を舞台とした以上、高級外車を衝動買いするような商談には歓喜するまでもない。アーティストの技術とブランド力は個展前日と、何も変わっていないのだから。

平静な自身を保持できるかで、個展の成功か、そうで無いかが決まる。

『 チャンスと目的のバランス 』

アーティストには、「チャンス」に観える場面が溢れる。著名事業家が絶賛し、大御所業界人が敬語で語らい、資産家やベンチャーが新規ホワイトペーパーを捲り口説くのだから、有頂天になる気持ちも理解できる。

だが、多くのアーティストはここで、個展を失敗に終えることとなる。
目の前で展開している偉大な来賓たちの喝采は、キュレーターを始めとする実行力がネットワークを駆使してサポートした結果に過ぎない。アーティストの手柄では無いのだ。

個展に限らない、多くのパーティー席、MTG.、イベントなどどんな場面においてもアーティストは常に、「目的」だけを観つめ続けねばならない。

ランナーは、二つのゴールに迷ってはいけない。レースのゴールは常に、ひとつなのだ。個展の舞台で披露される“チャンス”は、ゴールでは無い。

個展の成功だけを観つめる覚悟と、ぶれない決意が試される。

『 個展会場での発言の重さ 』

アーティストは、ロビー活動の素人だ。どれだけ頭を回して感性のレーダーを張り巡らしてもプロフェッショナルにかかれば子供も同然、笑顔も涙も自在に引き出され、想いのままに導かれる。

アーティストは自信がディベートの素人であり、プロフェッショナルによる“意図ある雑談力”の前では完全なる無力であることを認める必要がある。万が一にその状況を見誤り、「自分の言葉」を発信したなら、終わる。

本人の公式な発言はもう、引き戻せない。
アーティストが輝きたいなら、近未来のために今を紡いでいるのならば、けっして自分独りで接客することなく、キュレーターやプロデューサー、マネジャーや責任者とともに行動すべく、全身全霊で留意すべきである。

公式な場でのアーティストの発言には、
作品に関わっている全スタッフ、全企業、全仲間に対する決定権がある。撤回はできない。可能なのは、予防のみ。

アーティストに直接アクセスしようとする相手は二種類、「芸術界を知らぬ純粋」と「策士」である。当然、“知らぬ純粋”こそが最大のリスクである。アーティストは公式の場で、単身発言をしてはいけない。例外無く。

『 編集後記:』

そうそうたる業界人が来館くださる。
大手プロダクション社長、メジャー映画スタジオ社長、女優といつの間にか歩けるようになっていた幼い娘までも。「個展」という小さな旗印がともすれば、どこかのアーティストの勇気になれることを信じて。

大きな笑顔と真摯な眼差しを集めて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。


■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記